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[2017.11]【第9回 カンツォーネばかりがイタリアじゃない】カンツォーネ・ブームと日本語詞

文● 二宮大輔

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ジリオラ・チンクエッティ

 カンツォーネばかりがイタリアじゃないと啖呵を切って始めたこのコラムだが、これにはカンツォーネに代表されるようなステレオタイプなイタリアのイメージを壊して、別角度からイタリアの深層に迫ろうという志の表れであって、カンツォーネを批判するつもりはまったくない。だが、そもそもイタリアと言えばカンツォーネという固定したイメージが出来上がるほどに、往年のイタリアの歌謡曲が日本で人気を博したのは、どういうわけだろう。60年代のカンツォーネ・ブーム時には、邦盤のレコードが出るだけでなく、イタリア人歌手が日本語で歌ったり、日本人歌手がカンツォーネをカバーしたりという一歩踏み込んだ活動も行われていた。その中でも特に人気だったのがジリオラ・チンクエッティ(Gigliola Cinquetti)だ。

 1974年、北イタリアの内陸部ヴェローナ生まれ。1964年、16才の若さで初出場したサンレモ音楽祭で「夢みる想い」(Non Ho L'età)を歌い優勝。一躍スター歌手となる。南欧風の清楚な顔立ちと確かな歌唱力ですぐに日本でも人気となった彼女は、現在までに七度の来日を果たしている。80年代からは育児などもあり、歌手としての活動はぐっと減ってしまったが、2015年に20年ぶりのニュー・アルバムを発表して話題となった。そして御年70才になる今年、「奇跡の来日」と謳い、11月18日と19日、川崎にある1300人規模のライヴハウス、クラブ・チッタで、24年ぶりとなる日本公演を行う予定だ。1万6000円する指定席のチケットは2日間ともにすでに売り切れているとのこと。このニュースには軽いめまいを覚えた。自分の関わったイタリア人ロックミュージシャンの東京公演では、半額以下のチケット料金で、300人を集めるのに一苦労したからだ。カンツォーネが今でも根強い人気を誇っていることを改めて思い知らされた。

 さて、カンツォーネ全盛期、日本に向けて精力的な活動していたのはジリオラ・チンクエッティだけではない。現在までに71枚のスタジオ・アルバムを発表している大物歌手ミーナは、60年代に自分の歌をなんと日本語でも歌っていた。例えば1965年にリリースした「別離(わかれ)」(Un anno d’amore)がそうだ。原題は「愛の一年」という意味なのだが、面白いのは節回しを合わせるために、日本語版とイタリア語版では歌詞の意味が異なるところだ。

 イタリア語版の冒頭はこうだ。
Si può finire qui ここで終わるでしょう
ma tu davvero puoi でもあなたは本当に
buttare via così こんな風に捨てるの
un anno d'amore 愛の一年を
se adesso te ne vai あなたが出ていくなら
da domani saprai 明日から分かるでしょう
un giorno com'è lungo 私なしの一日が
e vuoto senza me. どれだけ長く空っぽか

 日本語版の同じ部分を見てみよう。
これでもう
終わりなの
あなたとの
愛の暮らし
明日からは
ワイングラスも
この灰皿
なにもかも

 イタリア語版三行目、四行目の「こんな風に捨てるの 愛の一年を」というキーとなるフレーズは、日本語版では冒頭ではなく、サビの部分で「捨てましょう 愛の暮らしを」という歌詞に変えつつ採用されている。ただイタリア語版の「捨てる」の動作主が「あなた」なのに対し、日本語版では文脈から「私」であることが分かる。つまり、男女の別れという主題と印象的な歌詞のワードを残しつつ、日本語の節回しを考慮して作り直されたのが「別離」なのだ。ゆえにイタリア語から翻訳したというよりは、解釈したと言ったほうが正しい。そしてこの解釈方式は当時の主流だったようだ。

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ミーナ「別離」のイタリア語版

 日本語詞を担当したのは漣健児こと草野昌一。シンコーミュージックの元会長だ。コニー・フランシスの「可愛いベイビー」(Pretty Little Baby)など、多数の日本語詞で知られるベテラン訳詞家が、ミーナの悲しいバラードも手掛けた。

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