世界の音楽情報誌「ラティーナ」

[1986.07]渡辺貞夫の“走り回りたくなるブラジル”—トッキーニョらとのピュアな出会い…6年ぶりのブラジルの旅

[1986.07]渡辺貞夫の“走り回りたくなるブラジル”—トッキーニョらとのピュアな出会い…6年ぶりのブラジルの旅

文●池上比沙之    写真●渡辺貞夫 text by  Hisasi Ikegami & photos by Sadao Watanabe  えーと、この前にブラジルに行ったのは80年の2月だったから、今回は6年ぶりということになるのかな。テレビの『音楽の旅はるか』っていう番組の仕事で行ったんだけど、ホストっていうのかな、ボクがブラジルとブラジル音楽を紹介するわけね。カルロス・ジョビンと会って話す時にはこういうこと聞いてくれ、とか、まあテレビ特有の注文がいろいろあってさ、大

5
[1982.12]連載 ものがたり 日本中南米音楽史 〜ブラジルでクラブを経営、ボサノバを体験したある日本人と、渡辺貞夫の興味深いお話

[1982.12]連載 ものがたり 日本中南米音楽史 〜ブラジルでクラブを経営、ボサノバを体験したある日本人と、渡辺貞夫の興味深いお話

文●青木 誠  この記事はラティーナの前身である雑誌「中南米音楽」の1982年12月号に掲載されたものです。当時の文章をそのまま掲載いたします。  今月はボサノバである。先々月の続きである。  わが国のボサノバはジャズの渡辺貞夫の帰国からはじまる。1965年暮れ、彼はボストン留学から帰国し、翌66年から猛然と演奏を開始し、当時のジャズ・レーベル “タクト” に「ジャズ&ボッサ」を録音したものがジャズ・レコードとしては空前のベスト・セラーになった。ボサノバとともに、じつに颯

7
[2021.02]日本のラテンシーンを作ってきた人たち〜ブラジル音楽編《前編》〜

[2021.02]日本のラテンシーンを作ってきた人たち〜ブラジル音楽編《前編》〜

文●中原 仁 text by JIN NAKAHARA  【e-magazine LATINA】の総合プロデューサー、宮沢和史さん肝いりの企画「日本のラテンシーンを作ってきた人たち」。第一弾はブラジル音楽編、時代を追い、2回に分けて担当する。なお、登場人物の名前は敬称略で表記させていただく。  1951年、日本の芸能団がブラジルに渡り、5カ月にもわたる日系人コミュニティー向けの公演を行なった。一座の一人が新人歌謡歌手、生田恵子(1928年~1995年)。彼女は滞在中、ルイ

35
[2017.11]モニカ・サウマーゾの カイピーラ(田舎者)詩的世界

[2017.11]モニカ・サウマーゾの カイピーラ(田舎者)詩的世界

文●ヂエゴ・ムニス  日本を代表するサックス奏者、渡辺貞夫が一番共演を望んでいたブラジルの歌姫モニカ・サウマーゾ。10月に念願の来日公演が実現し、その歌声に酔いしれた人も多かったでしょう。1995年に最初のアルバム『Afro-sambas』をリリースし、以来学殖豊かに洗練されたレパートリーを増やしながら、かつ歌唱技術を豊かな感情と才能と絶妙に融合させる女性歌手だ。  〝まだ〟トップセールスこそ果たしていないが、MPBにおいてリスペクトされるキャリアを築いている。20年の音