世界の音楽情報誌「ラティーナ」

[2017.08]【短期連載】 The Latin Music is a Tramp! #1 ビル・オコンネル

[2017.08]【短期連載】 The Latin Music is a Tramp! #1 ビル・オコンネル

文●山本幸洋  この3月のデイヴ・ヴァレンティンの死は早すぎた。だが、その死を悼んで盟友ビル・オコンネルらがコットンクラブ東京で6月18~21日にトリビュート公演を行い私たちは改めてデイヴの音楽を楽しみ、考える機会となった。メンバーはビル(ピアノ)、リンカーン・ゴーインズ(ベース)、ロビー・アミーン(ドラムズ)というデイヴゆかりの面々に、デイヴ役のフルートがチャランガ76のアイドル:アンドレア・ブラックフェルドというサプライズ! ビルというピアニスト/作編曲家は、長きにわた

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[2017.11]【連載 TÚ SOLO TÚ #211】ラテン・ジャズ注目のアルバムが次々とリリース パルミエリのあとに続くアーティスト達

[2017.11]【連載 TÚ SOLO TÚ #211】ラテン・ジャズ注目のアルバムが次々とリリース パルミエリのあとに続くアーティスト達

文●岡本郁生  今年4月にラテン・ジャズ・アルバム『ウィズダム/サビドゥリア』をリリースしたエディ・パルミエリだが、7月の来日の際に会ったとき、「(自分は)これと同じぐらいの、あるいはもっと良い作品は今後二度と作れないだろう。だからもうラテン・ジャズ・アルバムはやらない。これで終わりだ」と語っていた。この作品が彼の最高のラテン・ジャズ・アルバムであり、これ以上のものはできない、と。しかし、活動をやめてしまうわけではなく、来年には20年編成のビッグバンドを擁したサルサ・アルバ

[2017.12]【連載 TÚ SOLO TÚ #212】ラテン音楽界を代表する新世代編曲家 ダグ・ビーヴァーズの“アレンジの芸術”

[2017.12]【連載 TÚ SOLO TÚ #212】ラテン音楽界を代表する新世代編曲家 ダグ・ビーヴァーズの“アレンジの芸術”

文●岡本郁生  ちょうど2年前のこの時期に、前作の『ティタネス・デル・トロンボン』を紹介したのがトロンボーン奏者のダグ・ビーヴァーズだ。  1950年代後半にキューバで録音され、ニューヨークの音楽家たちにも大きな影響を与えた、カチャオ(Bs)によるデスカルガ・アルバム『キューバン・ジャム・セッション』へのオマージュ曲からスタートし、軽快なミディアム・テンポのボンバ、ラテン・ジャズ、サンバのカバー、チャ・チャ・チャ…… といったバラエティ溢れる内容で、オスカル・エルナンデス

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[2018.09]ウェイン・ショーターを支えるジャズ・ジャイアンツが目指すグローバル・ジャズ 「パナマの英雄」 ダニーロ・ペレス

[2018.09]ウェイン・ショーターを支えるジャズ・ジャイアンツが目指すグローバル・ジャズ 「パナマの英雄」 ダニーロ・ペレス

文●山本幸洋 text by TAKAHIRO YAMAMOTO  90年代半ば、ラテン・ジャズという音楽がようやく認知されてきたころ、出自の違う二人の若手ミュージシャンの動向が気になっていた。私と同世代のそのひとりはエディ・パルミエリの初来日に帯同したプエルトリコのサックス奏者ダビド・サンチェス。もうひとりがパナマのピアノ奏者ダニーロ・ペレス(1965年生まれ)。ディジー・ガレスピーが率いる国連オーケストラ(ディジーの死後、パキート・デ・リベラが引き継いだ)のメンバ

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[2017.04]デイヴ・ヴァレンティン、逝く April.29, 1952−March.8. 2017

[2017.04]デイヴ・ヴァレンティン、逝く April.29, 1952−March.8. 2017

 サウス・ブロンクス生まれ、フュージョン〜ラテン・ジャズ〜サルサを横断し、多彩なシーンで活躍したフルート奏者デイヴ・ヴァレンティンが3月8日に亡くなった。12年と15年に脳梗塞になり、パーキンソン病とも闘っていた。享年64。 文●山本幸洋  7歳にしてコンガとボンゴを始め、13歳で地元のバンドのティンバーレス奏者になった。よくある話かもしれない。でも、同じ学校に通う女の子と知り合いになりたくてフルートを借りて(この発想に脱帽!)、ラテンも取り込んだ独自のラテン・ジャズで知

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[2017.02]マヌエル・バレラ インタビュー

[2017.02]マヌエル・バレラ インタビュー

文●山本幸洋 text by TAKAHIRO YAMAMOTO  本誌16年6月号の特集「2010年 代 の 世界の音楽~中南米・カリブ編~」内でラテン・ジャズを10枚のCDで総括したとき、6タイトルのリーダーに対し私は取材をした経験があった。リーダー作だけではなくメンバーとしての活動で目星をつけておいて、折々で取材の機会を窺うのだが、未取材のうちもっとも関心の高い一人がキューバ出身のピアニスト、マヌエル・バレラだった。そのマヌエルが16年10〜11月にトリオを率いて日本

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