世界の音楽情報誌「ラティーナ」

[2018.07]連載 太平洋の向こう岸からの手紙 #13 『今ふたたび』

[2018.07]連載 太平洋の向こう岸からの手紙 #13 『今ふたたび』

文●フアン・フェルミン・フェラリス  私たちは第25教室のほとんど最後列に座っていました。彼は私にこう言いました「この曲はこう演奏できると思うんだ」そしてエグベルト・ジスモンチの「Choro」の最初のコードを弾いたのです。  先生が何かを説明している間だったのですが、注意散漫だったこともありクラスに出席する代わりに廊下の外で演奏することにしました。  そのクラスは素晴らしいものだったので、また情熱を持って座りました。そしてまたフェデリコ・アレセイゴルに音楽言語を教わった

[2018.08]連載 太平洋の向こう岸からの手紙 #14 『ルイス・カロ』

[2018.08]連載 太平洋の向こう岸からの手紙 #14 『ルイス・カロ』

文●フアン・フェルミン・フェラリス  音楽家、文筆家、俳優、曲芸師、詩人、商人、これらすべてがルイス・カロを定義できるものです。ですがより当てはまるのが労動者という言葉です。そして全ての労働者の様に未来の方へ目を向け、夢想家へ変わり、日常の観察者、労働者の詩人になりました。その人柄はピクサーが大きなテーマとして描くことが出来、ダリのような美しい口髭、コミカルで寛容な見た目があります。たとえ全てのプロフィールがボヘミアンの様でも、ルイスは紙から飛び出す様な作品を創り出す人に思

[2018.09]連載 太平洋の向こう岸からの手紙 #15 『メキシコ・ツアー』

[2018.09]連載 太平洋の向こう岸からの手紙 #15 『メキシコ・ツアー』

文●フアン・フェルミン・フェラリス  友人であるハビエル・ナダル・テスタの誘いによってメキシコをツアーし、メキシコシティから戻ったばかりです。デュオとして2年が過ぎようとしていますがうまくいっています。そして新しいプロジェクトの下で我々の最初のシングルを10月に発表するアイデアがありました。この曲に加え作曲したものは、フォーク、ポップ、ラップというマーケットに近づくための何か新しいものをという意図がありました。このプロジェクトは“El día de la suerte(運命

[2018.10]連載 太平洋の向こう岸からの手紙 #16 『ロリ』

[2018.10]連載 太平洋の向こう岸からの手紙 #16 『ロリ』

文●フアン・フェルミン・フェラリス  これは前回の記事「メキシコ・ツアー」に含めようと思っていたものです。私の滞在中にツアーを行った彼女に唯一会えるのは空港でした。彼女はロリ・モリーナ。リサンドロ・アリスティムーニョとともにアルゼンチンのインディペンデントな音楽家を最も代表するとても活動的なシンガーソングライターです。ロリとメキシコで会えるのは贅沢なことで、次はアルゼンチンに戻って来るのを待たなくてはいけません。ロリは1年以上メキシコに滞在したままです。友人のアルゼンチン人

[2018.11]連載 太平洋の向こう岸からの手紙 #17 『モギ』

[2018.11]連載 太平洋の向こう岸からの手紙 #17 『モギ』

文●フアン・フェルミン・フェラリス  ずっと昔に唯一のものに出会いました。何度も同じ部分を繰り返しました。 Si la mar fuera de leche / y los barquitos de canela / yo me mancharía entero / por salvar a tu bandera. (もし海がミルクで出来ていたら/そして、もし小舟がシナモンで出来ていたら/私は私自身を汚してしまうだろう/君の旗を救うために)  その後この断片が私に残って

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[2018.01]連載 太平洋の向こう岸からの手紙 #7 『ラス・コサス』

[2018.01]連載 太平洋の向こう岸からの手紙 #7 『ラス・コサス』

文●フアン・フェルミン・フェラリス  おそらく、『ラス・コサス(物事たち)』の詩の特徴はタイトルにあるように、隠喩的な事象として物事を映しているところにあります。それは「透明な水」と「風」という我々がアルバムのオープニングとクロージングに用意した曲で多く見ることができます。この詩的なコンセプトを結合し、具体的な要素を根底に取り入れること、それはまた経験と感覚に基づいた描写によります。その場合には、水が走る、風が運ぶ、が共通のポイントです。しかしここで強調したいことは水の流れ

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[2018.02]連載 太平洋の向こう岸からの手紙  #8 『雨』

[2018.02]連載 太平洋の向こう岸からの手紙 #8 『雨』

文●フアン・フェルミン・フェラリス  「雨」はアルバム『ラス・コサス』の4曲目で、そこで扱っているのは個人的な言葉です。前号では、アルバムの詩がどのようにつくられたかお伝えしました。要素や感覚に纏う深みを簡潔な詩にする。「雨」がレパートリーに加わったのは書いた中でも新しいほうです。たとえ雨を記憶と結びつけることが一般的な比喩でも、それはアルバムの詩的な提言を統合するためのものでした。  この歌を作った時のことを覚えています。とても短い時間でしたから。ある夜、家へ帰ろうと歩

[2018.12]連載 太平洋の向こう岸からの手紙 #18 『コトリンゴ』

[2018.12]連載 太平洋の向こう岸からの手紙 #18 『コトリンゴ』

文●フアン・フェルミン・フェラリス  みなさん既にコトリンゴのアルゼンチン滞在の重要性をお分かりのはずです。私の意見では、坂本龍一が我々の国において日本の音楽への扉を開きました。彼女が来る前から、幾人かの音楽家がコトリンゴの音楽をよく知っていました。そしてその中にはルイス・アルベルト・スピネッタもいました。モノ・フォンタナやクラウディオ・カルドーネはスピネッタのキーボーディストだったということで我々の国では重要な音楽家です。それは私が両者を知った理由でもあります。ルイスとの

[2018.03]連載 太平洋の向こう岸からの手紙 #9 『ようこそ』

[2018.03]連載 太平洋の向こう岸からの手紙 #9 『ようこそ』

文●フアン・フェルミン・フェラリス  最初に俳句に出会った時、それはスペイン語に翻訳されたものだったのですが、その物語構造の中に特有のなにかを見つけました。 そして出会ったすべての詩を読んで過ごしました。そして私が得たそれらの紙片で最も興味深いもの、その1つはこう書いてあります。 盗人に とり残されし 窓の月 これが無名の人による作品かよく知られた詩人によるものか私にはわかりかねますが、これは良寛という人による詩です。

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[2018.04]連載 太平洋の向こう岸からの手紙 #10 『影』

[2018.04]連載 太平洋の向こう岸からの手紙 #10 『影』

文●フアン・フェルミン・フェラリス 〈時々私は影に従う/時々ついてくる/ちっぽけな影よ もし私が死んだら/誰とともに歩むのだろう〉 フリオ・サントス・エスピノサ作「私の影へのビダーラ」  最初に影について考えたのは、知らせがあった日でした。ちょうど音楽学校の中にあるレコーディングスタジオでピアニストとしての最初のジャズアルバムを準備していたのですが、そこは幼い頃に何度か通った場所でした。そこでの私はとてもいたずらっ子だったのですが、それはまた別の話です。一番美しい記憶は、