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[2021.09]【連載シコ・ブアルキの作品との出会い⑧】女性が一人称で語る歌 ─ シコ・ブアルキ作《Atrás da porta》と《Olhos nos olhos》

文と訳詞●中村 安志 texto e tradução por Yasushi Nakamura

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お知らせ●中村安志氏の執筆による好評連載「アントニオ・カルロス・ジョビンの作品との出会い」についても、今後素晴らしい記事が続きますが、今回も一旦、この連載「シコ・ブアルキの作品との出会い」の方を掲載しています。今後も、何回かずつ交互に掲載して行きます。両連載とも、まだまだ凄い話が続きます。乞うご期待!!!(編集部)

 シコの作品群は、いくつかの大きな種類に分かれますが、その1つの柱となるのは、やはり女性が自ら一人称で語る歌の数々でしょう。今でこそようやく聞かれる両性平等などがほとんど語られなかった時代、シコは、ブラジルにおいて他のアーティストの誰よりも、時に憚られる表現も含め、女性の声を平場に果敢に打ち出してきた人ではないかと思います。同時にこれは、この連載の初期にご紹介した人権抑圧への抵抗、あるいは、前々回の「Pedro pedreiro」にあるような、恵まれない人々への温かい眼差しなどと合わせ、シコに対する幅広くかつ分厚い人層からの支持につながっている要素だと言えるでしょう。
 前回の「Joana francesa」という歌は、娼婦が男を誘惑しつつ、時に余裕たっぷりに語ってみせる内容でした。これに似た作品として、例えば、ガル・コスタの声で知られるヒット曲「Folhetim(小雑誌)」という歌においても、「でも朝が来たら/20数えないうちに/私から離れなさい/だってもうあなたには何の価値もないのだから/あなたはめくられた1ページ/私の雑誌の中の用済みのね」と、娼婦が顧客を軽くあしらうセリフがあり、これが同時に、こうした微妙な女性の言葉が、男の弱さというものを巧みに描いて見せているように思われます。
 シコが作り出す女性キャラクターは、このようにしばしば率直で、対峙する男連中の側に生きざまを問いかけてくるような、鋭いメッセージを投げかけるものが少なくありません。

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