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[2018.04]AFRO BAHIA 2018 〜アフロ・バイーアの静かなる新潮流〜

文●中原 仁 texto por JIN NAKAHARA

 いきなり私事になるが、本誌2017年1月号の「決定! ブラジル・ディスク大賞2016」関係者投票で、自身の選考コメントを次の言葉で締めくくった。

 〈全体を見渡してあえてキーワードをあげるとすれば 〝アフロ・バイーアの通奏低音〟〉。

 アフロ・ブラジルの宗教、カンドンブレの儀式でアタバキ奏者が演奏する複合リズムを例えた言葉で、本来の音楽用語「通奏低音」とは意味が異なるが、大地に直結する低音の連続的な波動を自分なりに表現してみた。

 16年の関係者投票ベスト10に選んだ中の2枚が、ロウレンソ・ヘベッチスの『オ・コルポ・ヂ・デントロ』と、ロウレンソが師事してアフロ・ブラジルのリズムを学んだマエストロ、レチエリス・レイチが率いるオルケストラ・フンピレズの『ア・サガ・ダ・トラヴェシーア』。共にアタバキのリズム・アンサンブルにラージ・アンサンブルが乗るインストゥルメンタル作品だった。

 この衝撃的な2作品だけでなく、同年の1位にあげたアナ・クラウヂア・ロメリーノの『マイアナ』、2位にあげたジョジ・ルッカの『ブリンケイ・ヂ・インヴェンタール・オ・ムンド』、共にリオの女性歌手の作品からも〝アフロ・バイーアの通奏低音〟と呼べるリズムが聴き取れた。

 カンドンブレの多様なリズムの中で最も有名なイジェシャーは、バイーアのポップスを象徴するアイコンに定着しているが、ロウレンソやフンピレズらの作品におけるリズムは、より原初的だ。

 アフロ・バイーアのリズムのルーツをふまえた音楽が2010年代の後半、新たな潮流となるのではないか。そんな期待を抱いていたら、ロウレンソのアルバムのプロデューサーをつとめたアート・リンゼイが〝カンドンブレの音楽とゴスペルの融合〟をひとつのテーマに据えた13年ぶりの新作『ケアフル・マダム』を発表。さらに、アフロ・バイーア魂に根ざした新世代の女性歌手、ルエジ・ルナ、シェニア・フランサがファースト・ソロ・アルバムを発表し、共に日本盤もリリースされ、時が来た! そんな実感がある。

 前置きが長くなったが、ここからルエジ・ルナ、シェニア・フランサを軸に、最新のアフロ・バイーア音楽の動向を探っていこう。

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 サルヴァドール生まれのルエジ・ルナは現在、30歳。地元での活動を経て2015年、サンパウロに転居し、16年末にシングル曲「ウン・コルポ・ノ・ムンド」でデビュー。17年10月、同名のファースト・アルバムを発表した。

 プロデューサーは、サルヴァドール在住のスウェーデン人パーカッション奏者、セバスチアン・ノチーニ。彼はチガナ・サンタナの『インヴェンション・オブ・カラー』と『テンポ&マグマ』、ヴィルジニア・ホドリゲスの『ママ・カルンガ』といったバイーアの歌手の秀作もプロデュースしており、15年にチガナと共に初来日した。

 アコースティック・ギターとエレキ・ギター、ベース、セバスチアンを含むパーカッション2人からなる5人編成のバンドのサウンドは隙間を生かし、ほとんどの曲が歩行テンポ以下。冒頭の2曲やタイトル曲をはじめ、カンドンブレに特徴的なハチロク(6/8拍子)のリズムが多く、ハチロクとイジェシャーとシコ・セーザルやレニーニの音楽に通じるリズムを自由に行き来する曲もある。ケニア人のエレキ・ギタリストの演奏などアフリカ音楽の要素もあり、時おり入るホーンのアンサンブルの響きはジャズ色が濃い。

 抑えの効いたクールな質感のサウンドに乗ったルエジの歌声も、張りすぎず軽やかにして大地に根を張った安定感があり、ジャズ・マナーも備えているが技巧に溺れず、クールな情感の余韻の奥に秘めた途方もないポテンシャルが感じられる。アッパーなアシェーとは対極の、静かなるトランス感。これもまたバイアニダーヂ(バイーア気質)の真髄だ。

 収録曲の大半がルエジのオリジナルで、「私は一本の美しい樹木」と題する曲、アフリカ系ブラジル人の自覚に根ざした曲、自然と人間の関係に言及した曲など、凛とした女性像が歌詞からも伝わってくる。新世代のシンガー/ソングライターとしても注目したい。

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 シェニア・フランサは、サルヴァドール郊外の工業都市カマサリ生まれで、年齢はルエジ・ルナより少し上の30代前半。2004年にサンパウロに転居し、モデルを経て歌手となり、ブレイク前のエミシーダの録音にも参加した。その後、アフロ・ブラジル音楽を軸とするバンド、アラフィアに参加してアルバムも発表。リニケル、ラッパーのハシッヂ、後ほど紹介するセレーナ・アスンサォンの録音にも参加し、17年9月、ファースト・ソロ・アルバム『シェニア』を発表した。

 プロデューサーはロウレンソ・ヘベッチスと、アラフィアのピポ・ペゴラーロ。2人がプログラミング、サンプラー、キーボードなどを駆使し、ヒップホップ~ネオ・ソウルの要素を取り入れたエレクトロ・ビートと、アフロ・バイーアのパーカッションのミックスがサウンドの軸になっている。

 ルエジのアルバム同様、大半の曲が歩行テンポ以下。冒頭の2曲のリズムがハチロクで、カンドンブレの根をしっかり押さえている一方、チンバウやスルド・ヴィラードといった、カルリーニョス・ブラウンが世に広めた打楽器も使っている。パゴダォンの鋭角的なリズムが飛び出す曲もある。カンドンブレから現代のバイーア発のリズムまで網羅した俯瞰力、生のパーカッションとエレクトロ・ビートが交錯する音像がとても斬新だ。

 ロウレンソやアート・リンゼイのアルバムに参加したイカロ・サーが、多くの曲でパーカッションを演奏していることも聴き逃せない。以下、本誌17年8月号掲載のアートのインタビューから引用する。

 「イカロは若く、パーカッションだけでなくギターやキーボードを学び、コンピューターも使う、非常に興味深い音楽家だ」。

 一方、キーボード類の音色とフレージング、ロウレンソがアレンジしたホーンのアンサンブルは極めてジャズ。先ほど触れたリズム面と、ジャズとヒップホップが融合して以降のUSA黒人音楽を俯瞰する視線が表裏一体となったハイブリッドな音楽が誕生した。

 子供の頃からマイケル・ジャクソンが大好きだったというシェニアの歌声はR&B/ソウル・マナーに根ざし、その奥からアフロ・バイーアの人間特有の〝気〟がたちこめてくる。

 歌詞もメッセージ性が強い。自身のオリジナルは少ないが、人種差別や女性差別に真っ向から異を唱え、アフリカ系ブラジル女性の誇りを歌い、女性の自立を促す曲もある。先行シングルでリリースされアルバムの最後に収録された曲「暗闇」は、犯罪者でもないのに警官に銃殺された黒人女性に捧げた曲。こうしたメッセージを声高に張りあげるのではなく、重心の低い声域も含め抑えめに歌うことが説得力を生み出していると思う。

 ルエジ・ルナとシェニア・フランサ。アルバムのサウンドの構造は異なるが、共にアフロ・バイーアの通奏低音に根ざし、アフリカ系ブラジル女性の自覚を拠り所にしている。年齢も近くヴィジュアルも魅力的。新世代のディーヴァと呼ぶにふさわしい2人の今後に注目していきたい。

 ちなみに今年のサルヴァドールのカーニヴァル。ペロウリーニョ広場でバイーアの新世代バンド、アフロシダーヂが行なったライヴにゲストで招かれたのが、ルエジ・ルナとシェニア・フランサで、シェニアはこれがカーニヴァル初出演だったという。

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 この2人に続く存在として、20代後半の女性歌手、アイアッシ〈Aiace〉を紹介する。ジャズとクラシックとカンドンブレのリズムの融合を志向するオルケストラ・アフロ・シンフォニカの歌手としてキャリアをスタート。2010年に結成したバンド、セルタニーラでは北東部内陸の多彩な音楽を歌い、セカンド・アルバムにはジャキス・モレレンバウムをゲストに迎えた。17年11月、ファースト・ソロ・アルバム『デントロ・アリ』を発表。タイトル曲はルエジ・ルナの作品でルエジのアルバムにも入っている。

 アフロ・バイーア音楽の個性派シンガー/ソングライター、ラッツォ・マトゥンビ、昨年8月に他界したルイス・メロヂアをゲストに迎えた曲もあり、音楽性はポップだがアフロ・ルーツもしっかり押さえている。ルエジやシェニアとは対照的な、高音域の伸びやかな歌声が魅力的で、プロデューサー次第で化けそうな逸材だ。

 アフロ・バイーアのリズムは近年とみに、バイーア以外の地域の音楽にも取り入れられるようになってきた。冒頭にあげたアナ・クラウヂア・ロメリーノ(プロデューサーは夫のベン・ジル、ドメニコ・ランセロッチ他)、ジョジ・ルッカ(プロデューサーはモレーノ・ヴェローゾ)のアルバムをはじめ、ドメニコの弟アルヴァーロ・ランセロッチの『カント・ヂ・マラジョー』。トゥリッパ・ルイスの新作『TU』(パーカッションはステファン・サン・フアン)など。そうした中から最後に、16年3月に39歳で他界したサンパウロの歌手、セレーナ・アスンサォン(故イタマール・アスンサォンの娘)の遺作『アセンサォン(昇天)』を紹介しておきたい。

 コンゴ(旧ザイール)の伝承曲を除き全曲、タイトルはカンドンブレの神々の名前。アフロ・バイーアのリズムを軸に、カンドンブレの音楽をポピュラー化した先駆者バンドのオス・チンコアンスや、バーデン・パウエルとヴィニシウス・ヂ・モライスのアフロ・サンバの要素も取り入れた、壮大でスピリチュアルな世界が広がる。

 ゲストも多彩で、シェニア・フランサ、トゥリッパ・ルイス、マイアナことアナ・クラウヂア・ロメリーノ、語りで参加のモレーノ・ヴェローゾなど大勢の歌手が参加。演奏にはシェニアのプロデューサーの一人ピポ・ペゴラーロ、フンピレズのメンバーでロウレンソやアート・リンゼイのアルバムでも重要な役割を果たしたカンドンブレのリズムの達人ガビ・ゲヂス。レチエリス・レイチがアレンジした曲もある。アルバムのテキストの筆者はチガナ・サンタナ。期せずして、本稿で名をあげた大勢の音楽家たちが大集合だ。

 昨年にはアルバム未収録曲「ログンネデー」がシングルで配信リリースされた。カエターノ・ヴェローゾが詩を朗読している。

 10年代に日本で注目されたブラジル新世代の音楽の大半がアンサンブルやハーモニーといった 〝うわもの〟を重視していたのに対し、ここに来てアフロ・バイーアのリズムコンシャスな音楽が浮上してきた。ミナスのルイーザ・ブリーナ&オ・リキッヂフィカドールのように両方の要素を兼ね備えた新世代も登場している。アフロ・バイーアの通奏低音。引き続き注目していきたい。

(月刊ラティーナ2018年4月号掲載)

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