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[2017.08]島々百景 #18 小豆島(香川県)

文と写真:宮沢和史

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 2008年は日本政府が移民政策として日本人781名を笠戸丸に乗せてブラジルへ送り出してからちょうど100年目。6月には皇太子様が公式に来伯され、10日間で8都市をご訪問されたことも大きなニュースとなり、ブラジルの日系社会が大いに盛り上がった一年となった。元はと言えば、ずさんな移民政策に踊らされ、どん底の苦労を強いられた初期移民たちが歯を食いしばって足跡のない荒野に文字通り道を作り、切り開いてきた歴史年表の大きな大きな節目であり、今ではブラジル社会にとってなくてはならない翼の一部と言っても言い過ぎではないところまで日系社会を築き上げ、育て上げた彼らがその年表の中で初めての立ち止まり、苦難の道のりを振り返り、大いなる感慨を分かち合う大事な年だったのではないかと思う。ブラジルから多くを学んできた自分もコンサートツアーをやろうと決意し、バンドを連れブラジルへ渡り、クリチーバ、サントス、サンパウロ、リオ デ ジャネイロ、の4都市で記念コンサートを開いた。日本でもジルベルト・ジル氏を呼び寄せ、名古屋、横浜において、共にステージに上がり記念コンサートを行い、日本とブラジルの皆さんと100周年をお祝いすることによって改めてその歴史の重みをかみしめた。1997年から宮沢和史という名前の音楽家として活動を始めたのだが、そのキャリアを積む上で非常に重要な流れだったのが紛れもなくブラジルの音楽との出会いであり、気がつくと自分のソロ活動は2008年の〝日系ブラジル人移民百周年〟に向かって無意識に積み上げていったように思う。バックバンドとして招集したバンドのメンバーとGANGA ZUMBAを結成した経緯も、100周年コンサートに向けて結束を固め、確固たるバンドに仕上げようとしていたからだったのだと、自分でも後になって振り返りそう分析できた。翌年にはブラジルのアマゾン地域へ入植した日本人の移民80周年の式典があり、自分も参加し、3都市でのコンサートをさせていただいた。そこで、自分の中で長い一つの旅が終わった気がした。

 足元である日本の風景をゆっくりと眺めながら旅をし歌が歌いたくなった。以前から一度渡ってみたかった瀬戸内海に浮かぶ香川県の小豆島に弾き語りコンサートをしに初上陸した。島への行き方は本州からなら兵庫、岡山からフェリーで、四国からなら香川県の高松から渡る。『島』というとどこか遠くに孤高に浮かぶ雄々しいイメージを浮かべがちだが、この島は本州と四国、そして、東は大きな淡路島に挟まれた穏やかな瀬戸内海に包まれた形で位置し、抱きしめられることによって宿る母性を持つ島……、という印象を受けた。港から一歩降り、車で移動し始めてすぐ、今まで旅した島々とは一味違う魅力が秘められていると感じとれた。コンサートを前にこの島のいくつかの有名なスポットを回ってみることにした。戦前から戦後にかけて瀬戸内海の寒村の子供達の成長と、その純真な瞳の美しさに多くを学んでいく女教師との絆、そして、皆が戦争に巻き込まれていく悲劇を描いた小説『二十四の瞳』は原作では場所は特定されていないが著者の壺井栄が小豆島出身であることから、のちに映画化される際に、舞台は小豆島に設定されたという。その映画のロケのセットを活用し、あたかも観光客が映画の物語の中を散策しているような気分にさせてくれる〝二十四の瞳映画村〟に立ち寄った。現在までなんどもドラマ化、映画化されてきた名作のオープンセットが体験できるとあって多くの人で賑わっていた。この瀬戸内の穏やかな気候と戦争というものをどうも自分には結びつけて考え難い……。その対極にあるふたつが時に表裏一体となりうる。ということが戦争の恐怖そのものであり、二極のコントラストが強ければ強いほど、恐怖は増し、悲しみは深淵へとどこまでも沈んでいくのだろう……。

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