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【松田美緒の航海記 ⎯ 1枚のアルバムができるまで⑤】 Compás del Sur ⎯⎯ 羅針盤はくるくる回る ⎯⎯

⎯ ◼️お知らせ 松田美緒の最新作『La Selva』がLP化されます! ◼️ ⎯

『La Selva』 12inch LP is set to release on April 23.2022 for RECORD STORE DAY JAPAN


南米のレジェンド、ウーゴ・ファトルーソと海を越えて制作したアルバム『La Selva』がアナログ化決定!世界同時開催のレコードの祭典の日RECORD STORE DAYの限定盤としてリリース。 以下のリスト掲載のレコードストアもしくはアーティストのライブイベント等にて、4/23 0:00より購入可能です。
https://recordstoreday.jp/store_list/


Compás del Sur (2011)
羅針盤はくるくる回る

文●松田美緒

『Compás del Sur』(2011)

↑ ※本記事の公開に合わせて、デジタル配信のされていなかった『Compás del Sur (2011)』をアップしていただきました。音源はBandcampより購入できます。ぜひ、ご利用ください。

 『クレオールの花』をリリースした後、いろいろな旅が待っていた。まず、新年早々の2週間のベネズエラツアーで8つの州をコンサートとパランダ(セッション)しながら駆け回り、各地のトゥンバオ(スウィング)を浴びに浴びた。そして国際交流基金から南米ツアーのお話をいただいて、8月にウーゴとヤヒロさんと各地の音楽家をゲストに迎えながら、アルゼンチン、ウルグアイ、チリを公演した。いろいろな歌を歌いながら、歌の根底にある歴史と人々の心に触れたツアーだった。また、カルロス・アギーレが音源を聴いてくれ、来日の時に歌ってほしいと連絡をもらい共演してから、水辺の聖者のような彼の音楽に浸った。
 そんなこんなで前作ではまだリアルに知らなかったスペイン語圏南米の音楽にディープに触れ、これはいかん、これは向こうで彼らと音楽しなきゃと思い、翌年には勢い勇んでさっそく出かけた。2回に渡るモンテビデオとブエノスアイレスのレコーディングセッションの旅でできたのが、このアルバム。タイトルは “Compás del Sur” 「コンパス」は羅針盤、コンパス、そしてリズムのことを言う。南のリズムに乗ってカピタン気取りで航海するはずが、ラ・プラタ川航行中、大波小波に揺られて羅針盤の針の上でくるくる回ることに。

trans criolla tour
カンドンベ
ムルガ

 着いたらウルグアイはカルナヴァル真っ最中だった。カンドンベのジャマーダや男性達の合唱の伝統ムルガ…… ウーゴのおかげで知ることができたこの小さな国の音楽の多様さと洗練度、リズムの豊かさったらすごい。2010年南米ツアーの時、ラ・プラタ川を渡ってモンテビデオに着いて、カンドンベグループのレイ・タンボールが合流し、人懐っこい彼らを見た時、なんというか不思議な既視感があった。ウーゴのおうちでママのイタリアご飯をご馳走になり、黒人地区での街角の雰囲気も懐かしい感じがした。それで、ああ、カーボヴェルデだ、と思った。そっくりなのだ。人の顔立ちも、町の小ささも、愛するミンデロを思い出させた。もう、これは完全に主観・体感だけど、あそこで別れた親戚がこんなとこにいた、という感じ。
 ところがブエノスで “Los Negros de Argentina”「アルゼンチンの黒人」という映画を観て、衝撃を受けた。アルゼンチンで散々こき使われ、さらにはパラグアイとの戦争の前線に送られた黒人奴隷達の生き残りはウルグアイに逃げたが、アルゼンチンに残った人たちは過酷な境遇に耐えながら細々と暮らしてきたという内容の映画だった。川を挟んでこんなに違うものかとショックだった。

ウーゴ・ファトルーソのお母さんと
ラ・プラタ川

 さて、カルナヴァルの後、ブエノスに行って、南米ツアーで参加してくれたイカツイ外見で超優しいギタリストのオラシオ・ブルゴスともフォルクローレの “La Pomeña” を録音した。アルゼンチンのサンバだけは、大学時代にルーチョ・ゴンサレスのフォルクローレ教則ビデオを観て練習したから、ギターでリズムを刻める。あのゴルぺがグッとくる。オラシオは軽やかに洗練させながらグッとくる素晴らしいギターを弾いてくれた。

オラシオ・ブルゴス

 そして、フロレンシア・ルイスのおうちに泊めてもらっていた時だった。「Mio、日本が大変なことになってるよ」と明け方起こされ、テレビに映っていたのが、津波と原発の映像だった。3.11、日本は半分沈んだというニュースさえあって、何もできず悶々と過ごした。

カルロス・アギーレと
カルロス・アギーレと

 その時にカルロス・アギーレがお父さんの容体が悪い時なのにパラナから出てきてくれ、ギターでリハーサルをした後、スタジオの生ピアノで彼の曲2曲を録音することができた。彼の音楽にどんなに心救われたかわからない。 “Memoria de Mi Pueblo”「故郷の記憶」はもうなくなってしまった記憶の中の故郷を思う曲。 “Vidala que Ronda” はアルゼンチンの独裁政権の時に連れ去られた子供達を探し続ける母たちのために作られた歌。2曲とも心の奥底に沁みる。同じ部屋で一発録りを2回テイクほどして、パラナに帰るカルロスをバスターミナルまで送って、本当にありがとうと涙ぐんだ。
 また、その頃忘れられないことがある。ウルグアイのコロニアからブエノスまでラ・プラタ川を渡るフェリーの中で、太鼓の音が聴こえた。行ってみると、甲板で日系アルゼンチン人の男の子達が震災の追悼のために、太鼓を叩いていたのだ。銀の川が黄金に染まる夕暮れ、彼らのルーツに捧げる太鼓を聴きながら、私も遠く離れた日本を思った。

ウーゴ・ファトルーソ(左)とルベン・ラダ(右)と

 ウルグアイでのウーゴ達とレコーディングでは、なんとウーゴのおかげでルベン・ラダがスタジオを使わせてくれて、彼もレコーディングやライヴに来てくれたり、カンドンベのタンボールに秘密で参加してくれた。スタジオではお菓子を出してくれ、優しいホストぶり。録音したのは、愛する人に別れを告げる痛みを歌ったラダのカンドンベの曲、そしてウーゴの新しい書き下ろしのカンドンベ、タンゴの “El Ultimo Cafe”「最後のコーヒー」をウーゴの7拍子アレンジで。そして、カーボヴェルデの「サイコー」メドレーをカンドンベで。また、モルナの “Bartolomeu”も。これは、バルトロメウ号というリスボンからブラジル行きの船が昔あって、カーボヴェルデのミンデロを経由するのだけど、そこのクレオール娘が船乗りの恋人に語りかける歌。ウルグアイで感じたカーボヴェルデ。それはきっと正しい。それはカーボヴェルデが大航海時代に新大陸に行くすべての船が経由する場所だったから。
 キュートな鬼才ウルバノ・モランエスと2007年に知り合ったギタリストのチャピートとも、海岸で海を見ながら、 “Azul”という曲を作った。そして、マテオの “Y Hoy Te Vi”「そして今日きみを見た」を日本語にしてウーゴと録音。今聴いたら小っ恥ずかしいけど、あの時は歌詞に震災の頃の思いを重ねて、一生懸命に書いたのだと思う。

ウルバノ・モランエス(左)とウーゴ・ファトルーソ(右)
ウルバノ・モランエス(左)とウーゴ・ファトルーソ(右)

 4月に一度日本に帰り、ベネズエラに呼ばれたため7月にはウルグアイへ帰って、続きのライヴ活動とミックス作業をした。真夏だった南米も真冬になっていて、モンテビデオではソンドールという古いスタジオでミックスをしてブエノスに行ったが、録音方法の違いからミックスが大変だった。しかも原因不明の風邪で40度の熱を出して寝込んでしまった。日系人のお医者さんが二回も来てくれてお尻に注射してもらってましにはなったけど、マスタリングなんぞは音も何もわかったものじゃなく、ウーゴお墨付きのエンジニアにほぼ任せてソファーにぶっ倒れていた。ブエノスが乾燥して寒すぎたのか、チリに行ってだいぶ良くなり、ベネズエラに着いてアンサンブル・グルフィオと共演し、熱い太陽を浴びてアレパ(激ウマサンド)とサンコーチョ(激ウマスープ)を食べたら完全に復活した。ペルーに寄って帰国して、そして秋にはアルバムをヤマハからリリース。
 アルバムの写真はブエノスの公園でマリア・ビルバとセッションしたもの。
羅針盤の針のように南米をぐるぐる回りながらヘトヘトになりながらも、素晴らしきミュージシャンたちとバンド活動したような思い出のアルバム。

↑アルバム『Compás del Sur』紹介ページ

Teatro Solis(2012)

(ラティーナ2022年4月)


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