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[2021.10]【沖縄・奄美の島々を彩る歌と踊り15】 沖縄の豊年祭 −夏の節目を祝う祭り−

文:久万田くまだすすむ(沖縄県立芸術大学・教授)

 沖縄では旧暦八月十五夜前後に、多くの地域で祭りが行われる。この祭りは「豊年祭」と呼ばれることが多い。しかし「豊年祭」とは、日本本土から伝わった言い方であり、沖縄で昔からあった呼び名ではない。この祭りは、いったい何のための祭りなのかについて考えてみたい。

 まず祭りの名称についての方言呼称を見てみると、沖縄本島北部では村踊りむらうどぅい、本島中部では村遊むらあしび、また宜野湾市近辺では廻遊まーるあしび(数年に一度開催されることに由来)と呼ばれている。また沖縄本島南部一帯では、旧八月十五夜の綱引きを行った後に舞台上で数々の芸能を上演する地域も多い。また注意しておきたいのは、こうした芸能づくしの祭が行われるのは、必ずしも8月の十五夜に限ったことではないということだ。名護市の東部地区(旧久志村)では旧7月の盆前後に村踊りむらうどぅいとして数々の芸能を演じる。本島中部の読谷村、沖縄市、旧石川市の一部地域では旧7月16日にハタスガシといって地区の象徴となるムラ旗をたなびかせた後にエイサーや獅子舞その他の芸能を演じている。本島南部の南城市(旧佐敷町、知念村)の一部では旧7月16日をヌーバレーと称して、多くの芸能を舞台で上演する。宮古諸島の多良間島では、旧8月の十五夜以前の三日間を八月踊りと称して舞踊、狂言、組踊といった芸能の数々を仮設舞台で演じる。八重山諸島の島々では、旧暦6月から9月にかけて、豊年祭ぷーる、節祭(しつ、しち)、結願祭、種子取祭たなどぅいといった名称で多くの祭りが執り行われる。神女の御嶽おんでの祈願に続いて御嶽前に設置された仮設舞台上で数々の芸能を演じるのである。

 日本民俗学を大成した柳田やなぎた國男くにおは、古代日本では1年が夏至と冬至によって二つの時期に区切られていたと考えた。日本本土では、冬至を中心として12月から1月にかけての一連の年越し行事が重要視され、「霜月神楽」をはじめとして多くの祭りがこの時期に行われている。それに対して、沖縄では夏至に始まる夏期の節目を1年の重要な区切りと考えてきた。このことは「沖縄の夏正月」とも呼ばれている。時間的には大雑把に捉えて、「沖縄では旧暦の6月から9月までを夏の大きな区切りとしてきた」と考えたほうがよい。沖縄の夏の節目に来るべき年の吉凶を占う(年占としうら)大綱引きも、時期は地域によって旧6月下旬、旧7月盆後、旧8月の十五夜前後とかなり幅がある。前述したように豊年祭のような芸能づくしの祭りも、実施の時期は地域ごとにずいぶん幅があるのである。

 現在の豊年祭のような祭りは、地域の人々が心を一つにして様々な芸能を舞台上で繰り広げ、五穀豊穣、子孫繁栄、地域の安寧を願う、いかにも豊年の祝いにふさわしい祭りとなっている。しかし祭りの根源的な意味を考えてみると、夏の重要な節目の時期にこの世とあの世の境界が曖昧となり、多くの先祖霊がこの世に戻ってくる(それらの先祖霊を歓待する習慣は次第に整えられて旧盆行事として確立する)。それと同時に、人々に歓迎されない多くのさまよえる餓鬼、悪霊などもこの世に押し寄せてくる。それらをシバ(沖縄本島ではススキ)を用いて追い払(祓)い、家族の心身に危害が及ばないように「祓い清める」ことが、これらの祭りの本来の姿ではないかと考えられるのである。

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