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[2019.01]【連載】タンゴのうた 詩から見るタンゴの世界 第12回 古きトルトーニ Viejo Tortoni

文●西村秀人 text by HIDETO NISHIMURA

タンゴの歌詞に出てくる地名や場所はほとんどの場合実在のものが多い。  しかしその多くは失われた後、追憶の中で語られることがほとんど。        このタンゴは数少ない、発表当時も今も現存するカフェへのオマージュだ。

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 この曲の作詞者はエクトル・ネグロ。一般のタンゴ・ファンにはあまりなじみ深い名前ではないかもしれないが、その作品は本国で高く評価されている。1934年ブエノスアイレス生まれで、子供の頃からムルガ(カーニバルの音楽隊)の歌詞を書いたりしていたらしい。20歳の時最初のタンゴ作品「我らのストリート」(Calle nuestra)を発表。以後詩集を20冊近く出版、一方で1981年から2000年までジャーナリストとして新聞「クラリン」のタンゴ欄を担当してもきた。作詞で広く世に知られた最初の作品は、最も多くの曲をともに作ってきたギタリスト、オスバルド・アベーナとの「この街」(Esta ciudad)で、1967年のコンクールで見事最優秀をとった作品だ。同年にはアルトゥーロ・ペノンの曲に詞を付けた「ビエン・デ・アバホ」(1967年)、さらにこの前後に「もう一匹の狼」(Un lobo más)、「灰色の男に捧げる冥福の祈り」(Responso para un hombre gris)、「新世界」(Un mundo nuevo) など現代らしいテーマをもった作品を次々と世に送り出す。その後はフォルクローレの作品などにもよいものを作っているが、タンゴ作品のヒットは少しブランクがあり、1979年にラウル・ガレーロの曲を得て発表した「市電の時代」(Tiempo de tranvías)がヒット、それに続き同年11月に初演されたのが「古きトルトーニ」だった。

詩を朗読するエクトル・ネグロ

詩を朗読する、エクトル・ネグロ

 この「古きトルトーニ」が特別なのは、現代タンゴ屈指の詩人エクトル・ネグロと、タンゴ史屈指の女流作家エラディア・ブラスケスの作曲によるものだからだ。エラディア・ブラスケスは1931年ブエノスアイレス生まれ、子供時代から天才少女歌手(当時のレパートリーはスペインのコプラやキューバもの)として知られていたが、1960年代からモダンなフォルクローレやバラードを発表して注目を集め、1970年に歌手として自作のタンゴばかりを集めたアルバムを発表、以後現代のブエノスアイレスを映し出したタンゴの傑作を多数発表し始める。多くは作詞・作曲ともにエラディア・ブラスケスによるものだが、他の作詞家・作曲家とのコラボレーションもわずかにあり、本作品はおそらくエクトル・ネグロとエラディア・ブラスケスの唯一のコラボレーションと思われる。

1980年代のエラディア・ブラスケス

1980年代のエラディア・ブラスケス

 この曲はまずスサーナ・リナルディの歌によって初演、1980年の名盤「ラ・プラタの女王」(La reina de la Plata)に収録(伴奏はフリアン・プラサ)、その後同年エラディアの自作自演がアルバム「ガライよ、もしおまえが見ていたなら」(Si te viera Garay...) に収録、ルベン・フアレスも1980年のアルバム「コンベンセルノス」(Convencernos)で取りあげた。

 舞台となったカフェ・トルトーニは1858年から営業しているブエノスアイレス有数の老舗カフェ。歌詞の中に出てくるが、ベニート・キンケラ・マルティン(画家)、フアン・デ・ディオス・フィリベルト(作曲家)、アルフォンシーナ・ストルニィ(詩人)、バルドメロ・フェルナンデス・モレーノ(詩人)、ホルヘ・ルイス・ボルヘス(作家)、フアナ・デ・イバルブル(作家)、フロレンシオ・モリーナ・カンポス(画家)、アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアニスト)、フェデリコ・ガルシア・ロルカ(作家)、ゴンサレス・トゥニョン(詩人)など内外の著名な文化人が集ったことでも知られ、タンゴの神様カルロス・ガルデルも2回このカフェで歌ったのだそうだ。

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