[2019.06]SEIGEN ONO interview
文●松山晋也 text by SHINYA MATSUYAMA
サウンド・エンジニア/ミュージシャン/プロデューサーとして活躍するオノセイゲンがコムデギャルソンのショーの音楽を担当し、ファッション界と音楽界の両方に衝撃を与えたのは、約30年前のことだった。その音楽をまとめた2枚のアルバム『コム デ ギャルソン セイゲン オノ Volume 1』(88年)と『同2』(89年)は、セイゲンの代表作として過去に何度も再発されてきたが、去る3月には日本コロムビアから改めてリリースされた。
今回の再発では、2枚組CD(Volume 1&2)はモノラル音源を追加したハイブリッドSACD仕様にもなっており、同時にモノラル音源LP(2枚組)もリリース。更に、『コム デ ギャルソン セイゲン オノ』の発展版とも言うべき未発表音源集『コム デ ギャルソンFragmentation セイゲン オノ』なる新作まで登場(こちらもモノラル音源LPあり)。
これら2作品が、セイゲンにとってどういう意味を持っているのか、話を聞いた。
■ 金字塔としての『コム デ ギャルソン セイゲン オノ』
── セイゲンさんは70年代後半からスタジオ・エンジニアとして働きだしたんですよね。
オノセイゲン 音響ハウスのアシスタント・エンジニアをやった後独立してフリーになり、ソニーやビクターやコロムビアなど大手のスタジオに出入りしながらいろんな録音手法を習得していったんです。特にコロムビアの「ベター・デイズ」レーベルの作品などはたくさん担当した。コロムビアのスタジオは、昼間は演歌とか普通のもので使ってて、夜7時以降は「ベター・デイズ」系が自由に使っていた。何時までやってもよかった。その柔軟なシステムが「ベター・デイズ」の斬新な作品を作りだしたと言っていい。当時の僕は、赤坂のコロムビア・スタジオにほとんど住み込んでいる感じで、たくさんの音楽家とも出会い、親交を深めていった。
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