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[2020.02]“20年代”はこの国の音楽に注目したい(前編)

世界の音楽にアンテナを伸ばしている本誌の執筆陣に、“20年代”が始まるこれからの時代に注目したい国や地域を教えてもらいました。(執筆者名五十音順表示)


イスラエル 文●石田昌隆

プロフィール●フォトグラファー / 著書は『ソウル・フラワー・ユニオン 解き放つ唄の轍』『オルタナティヴ・ミュージック』『黒いグルーヴ』『Jamaica 1982』『1989 If You Love Somebody Set Them free ベルリンの壁が崩壊してジプシーの歌が聴こえてきた』。

2_イスラエル

 20年代は、イスラエルからさらに素晴らしい音楽が出てくるのは間違いないと思う。

 イスラエルは歴代の首相は全員アシュケナジ(ドイツ、東欧、旧ソ連にルーツがあるユダヤ人)で、そういう人がニュースに登場することが多いため、それがイスラエル人の典型だと思っている人が多いかもしれないが、実際には彼らはユダヤ人の半数以下で、セファルディ(レコンキスタでモロッコなど北アフリカやトルコなどに追いやられたスペイン系ユダヤ人)、ミズラヒム(イエメン、イラク、イランなどにルーツがあるユダヤ人)、ベタ・イスラエル(エチオピア出身の黒人のユダヤ人)など多様なのだ。しかも彼らユダヤ人の総数は、イスラエル人のうちの75%ほどで、アラブ系イスラエル人(イスラエル建国後もイスラエルに住み続けたパレスチナ人)が20%、このほか、ドゥルーズ派(民族的にはアラブ人)、ベドウィンなどがいる。

 イスラエルは世界でも希に見る多民族国家なのである。しかし建国以来アシュケナジが支配してきたため、他のユダヤ人は2級市民扱いされてきた。彼らは、シオニスト(パレスチナにユダヤ人の民族的拠点を設置するためにパレスチナ人を排斥する人)とは異なり、第一次中東戦争以後、それぞれの居住国でユダヤ人に対する風当たりが強まったため、50年代に追われるようにイスラエルに移民してきた人の子孫たちなのだ。イスラエルといえば、パレスチナに対して武力行使する国としてしばしばニュースに登場するが、国内問題は見えにくい。70年代に、セファルディやミズラヒムの移民2世たちが、アシュケナージとの格差と差別に対するブラック・パンサー(アメリカの同名の組織から名前を引用したが、直接の関係はない)という抵抗運動を起こした。

 それから40年経った10年代になって、イラク系のドゥドゥ・タッサ、イラン系のリタ、モロッコ系のベースのアヴィシャイ・コーエンなど、すでに大活躍していたミュージシャンが自らのルーツを顧みた素晴らしい音楽を奏でるようになった。アラブ音楽の最先端はイスラエルにある。エチオピア系のギリ・ヤロや、若手ではイラン系のリラズも出てきた。こういう多彩なミュージシャンがいる一方で、ブーム・パムのウリ・キンロット、バターリング・トリオのリジョイサーことユヴァル・ハヴキンなど、オルタナティヴで優れたプロデューサーでもあるミュージシャンが活躍している。未来が切り開かれていくはずだ。

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リラズ


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