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[2021.04]日本のラテンシーンを作ってきた人たち〜ブラジル音楽編《特別編》〜

文●中原 仁 text by JIN NAKAHARA

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「日本のラテンシーンを作ってきた人たち~ブラジル音楽編」を2回にわたって書きながら、脳内を駆け巡っていたことがある。時代と共に、ブラジルと日本の音楽家同士の交流を通じ、いわゆる "ブラジル音楽" の枠に収まりきらない、シンプルに "音楽" と呼べるものが増えてきた。ブラジルの音楽家の録音に、ブラジル音楽の専門家ではない日本の音楽家が参加することも増えてきた。

坂本龍一

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 91年、アート・リンゼイがプロデュースしたマリーザ・モンチのセカンド・アルバム『Mais』の、ピシンギーニャ作の古典「Rosa」など5曲のニューヨーク録音に、坂本龍一が参加した。アートと坂本は80年代から交流があり、89年、アートは坂本教授の東京公演にゲスト出演した。このコンサートが、教授の音楽の中にブラジルの要素が初めて明快に浮上したものと記憶している。教授からアントニオ・カルロス・ジョビンの音楽への熱い敬意を聞いたのも、この頃だった。


 同じく91年、アートがプロデュースしたカエターノ・ヴェローゾの『Circuladô』の2曲に教授は参加した。


 このアルバムはカエターノとジャキス・モレレンバウムの初共演作でもあり、リリース後のニューヨーク公演を聴きに行った教授は、ジャキスとの運命的な出会いを果たした。

「ステージでチェロを弾いてるジャキスを初めて見た瞬間、もう度肝を抜かれました。こんなにウマいチェリストがいるのか。もちろんクラシックがベースですけれど、カエターノがやってる音楽でも自由に即興的に弾いてるのを見て、こういうことをできるチェリストは世界に一人しかいない。僕はこの人と一緒にやらなければいけないと思いました。
 コンサートが終わってすぐ楽屋に駆け込んでカエターノに紹介してもらったんです。なんとジャキスも以前から僕の仕事、映画音楽とかを聴いていてくれたそうで、しかも話していてわかったのは、僕と彼には共通点がいっぱいある。子供の頃からずっとクラシックを勉強してきて、でもビートルズが大好きで、大衆音楽をやってることとか。だからもう会った瞬間にお互い兄弟のような感じを持ちました」
(ラティーナ2001年8月号。筆者による坂本龍一インタビューより)


 その後、2人はコンサートで初共演し、教授はジャキス、ヴァオリン奏者との室内楽トリオを結成してアルバム『1996』を録音し、ワールドツアーを行なった。そして2001年、ジャキス&パウラ・モレレンバウム夫妻とのユニット、モレレンバウム2/サカモトで、ジョビン作品集『Casa』を録音。ワールドツアーも行なった。

 時代を戻して94年、教授は日本にgüt(グート)レーベルを立ち上げ、自身のリーダー作、アート・リンゼイのリーダー作などをリリース。アートを通じて出会ったヴィニシウス・カントゥアリアの『Sol Na Cara』を共同プロデュースし、演奏にも全面参加した。gütからは、教授、アート、ベベウ・ジルベルトが参加したテイ・トウワの『Future Listening!』も出ている。

宮沢和史

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 e-magazine LATINAの総合プロデューサー、宮沢和史は94年に初めてブラジル・リオを訪れ、帰国後、THE BOOMで『極東サンバ』を発表した。

 96年にはTHE BOOMのブラジル公演を行ない、『TROPICALISM-O°』を発表。そして97年末から98年にかけて、ソロ・アルバム『AFROSICK』をリオとサルヴァドールで録音した。録音前に宮沢が語った言葉が、全てを物語っている。

 「ブラジル音楽をやりにブラジルに行くわけじゃない。今、世界的に見て最もクリエイティヴなことをやっているミュージシャンがブラジルに大勢いる。彼らと一緒に音楽を作りたいからブラジルに行くんだ」。
(ラティーナ98年12月号。筆者による記事より)

 『AFROSICK』のリオ編はマルコス・スザーノとビヂがプロデュースし、レニーニ、パウリーニョ・モスカ、ペドロ・ルイスがポルトガル語の作詞を担当。当時はまだ知る人ぞ知る若手だったペドロ・サーとダヴィ・モライスをギタリストとして起用したところにスザーノの慧眼と予知力がうかがえる。

 サルヴァドール編はカルリーニョス・ブラウンとの共同プロデュースで、後にトリバリスタスに参加するセーザル・メンデスがガットギターを弾いている。

 98年10月、宮沢は『AFROSICK』のブラジルでのリリース・ライヴを行ない、日本でのライヴにはスザーノ、フェルナンド・モウラ(キーボード)、モスカ、ペドロを迎え、その経緯でペドロ・ルイス&ア・パレーヂの来日公演も実現した。

 2001年、アート・リンゼイをプロデューサーに迎え、東京、沖縄、ニューヨーク、リオ、サンパウロ、サルヴァドールで録音した『MIYAZAWA』を発表。『Máquina de Escrever Música』をリリースして間もないモレーノ+2(モレーノ・ヴェローゾ、ドメニコ、カシン)、サンパウロではマックス・ヂ・カストロといった21世紀の新世代も参加した。

 その後も宮沢は、スザーノとフェルナンド・モウラを迎えた多国籍バンドで海外公演を行ない、バンドにはGANGA ZUMBA(ガンガ・ズンバ)の名前もつき、2008年には日本人のブラジル移民100周年を記念してブラジル公演を行なった。さらに、ジルベルト・ジル前文化大臣がバンドを率いて来日し、横浜赤レンガ倉庫前広場に万余の聴衆を集めた100周年記念イヴェントに、THE BOOM、GANGA ZUMBA、ジルベルト・ジルが出演した。


沼澤尚

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 長年に及ぶ宮沢和史とブラジルの旅路は、いくつかの新たな道も生みだした。一人が『AFROSICK』日本ライヴに参加したドラマー、沼澤尚。20代から30代前半、USAでソウル、ファンクを中心に活躍していた売れっ子だったが、実は高校時代からジョアン・ジルベルトやカエターノ・ヴェローゾなどを聴いていたブラジル音楽好き。97年のレニーニ&スザーノ来日公演の際、スザーノに紹介して彼のキャリアを説明したらスザーノが目を輝かせて興味を示したが、その時点では翌年、『AFROSICK』のライヴ・プロジェクトで一緒になるなんて、誰も想像していなかった。

 98年のレニーニ&スザーノ再来日公演に、宮沢和史がゲスト出演した繋がりもあって沼澤も出演し、レニーニ&スザーノと初共演。さらに『AFROSICK』ライヴでスザーノをはじめブラジル勢と意気投合。翌99年、東京、LA、ニューヨーク、リオで録音した初のソロ・アルバム『The Wings of Time』を発表。リオではレニーニ、モスカ、スザーノ、ペドロ・ルイス&ア・パレーヂと共演した。

「僕はブラジル音楽を演奏しようと思ったことは一度もないし、彼らも "はい、これはブラジル音楽ですよ、それにオマエが乗れば" っていう感覚は全然ない人たちですからね。かと言って彼らがブラジル音楽を否定しているわけじゃなくて、サンバとかはもう当然のように体の中に入ってて、ていねいに歴史とか教えてくれるし。そういうことをちゃんと踏まえて、それで彼らが今やりたいこととか好きな音楽の趣味とかが、僕と全く同じなんです」  
(ラティーナ99年4月号。筆者による沼澤尚インタビューより)

 99年真夏、マルコス・スザーノのスペシャル・プロジェクト来日公演(ヴォーカルはモスカ)に、『AFROSICK』ライヴの盟友でもある小原礼(ベース)と共に出演。2002年には自ら座長をつとめ、スザーノ、モスカらブラジル勢を呼んでライヴを行なった。モスカの『Tudo Novo de Novo』(2003年)のタイトル曲など2曲でドラムスを演奏している。

 以来、スザーノはほぼ毎年のペースで来日し、沼澤とのデュオ、沼澤が声をかけた日本の多彩な "ブラジル音楽ではない音楽家" と共演するライヴを行なってきた。2人のライヴ・インプロヴィゼーション+内田直之のライヴ・ダブ・ミックスによる『Nenhuma Canção, Só Música』(2006年)をはじめ数多くの共演盤を発表。2006年、沼澤は佐藤タイジ(シアターブルック)と共に、スザーノがキュレーターをつとめた音楽フェス「ペルクパン」のサルヴァドール公演に出演しスザーノと共演、リオで録音も行なった。沼澤尚とマルコス・スザーノの共演は、今日まで続いている。


高野寛

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 『AFROSICK』ライヴとGANGA ZUMBAのメンバーとして長年、宮沢和史と共演し、ブラジルの音楽家との出会いも生まれたのが、シンガー/ソングライター/ギタリスト、高野寛。振り返れば94年、坂本龍一のワールドツアーにギタリストとして参加した高野は「ツアーのセットリストにボサノヴァの曲があって、そこで自分の音楽の辞書の中にはなかったブラジル音楽の世界に初めて触れることになる」と、自身のフォト・エッセイ集「RIO」(2014年)に書き記している。

 以来、カエターノ・ヴェローゾを中心にブラジル音楽を聴き始めた高野は、モレーノ+2の『Máquina de Escrever Música』を聴いて新世代の音楽にも関心を持ち、リアルな交流も始まった。2006年、モレーノ=ドメニコ=カシン+2の来日公演に、小山田圭吾、嶺川貴子、Saigenjiと共にゲスト出演。2007年、ブラジル録音のアルバム『Vida』(+2、マルコス・スザーノ、アート・リンゼイほか参加)を発表したJJazz出身の歌手、Akikoと+2のスペシャル・ユニットのメンバーとして、Fuji Rockに出演した。

 2008年、GANGA ZUMBAのレコーディングでリオに滞在中の休日、カシンのスタジオに遊びに行ったら待ち受けていたのがモレーノとドメニコ。未発表の新曲を一緒に演奏しているうちに、じゃあ録音しようということになり「Skylove」と「壊れそうな世界の中で」が、流れとノリで一気に完成。この2曲は『Kameleon pop』(2011年)に収録された。

 2011年、モレーノ・ヴェローゾがソロ・ツアーで来日中、高野は嶺川貴子(モレーノは96年に初来日した際、彼女のCDを聴いて大ファンになった)と共に、東京のスタジオでモレーノの『Coiss Boa』のレコーディングに参加した。モレーノと嶺川が日本語でデュエットする「同じ空」で、高野はギターなどを演奏している。

 そして2014年、高野はリオに向かい、モレーノのプロデュースでデビュー25周年記念リリースの一環となるアルバム『TRIO』を録音した。

 リオ到着直後、高野は自身のブログで「僕がリオに来た理由は、東京の次にミュージシャンの友達がたくさんいるから」とコメント。内容もブラジル音楽に擦り寄った要素は全くなく彼の音楽であり、モレーノらブラジルのミュージシャンやスタッフとの完璧な信頼関係に築かれた音楽だ。僕もコーディネイターとして同行したが、これまで自分がスタッフとして関わったブラジル録音のプロジェクト約15タイトルの中で、なんのトラブルもストレスもなく万事がスムーズに自然体で進行したのは初めての経験だった。


フェルナンダ・タカイと野宮真貴


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 日系ブラジル人、フェルナンダ・タカイが全編、日本語で歌ったパト・フの「Made In Japan」がブラジルでヒットしたのは99年。曲を聴いて、彼女たちは間違いなくピチカート・ファイヴを聴いてると想像したらその通りだった。

 その後、フェルナンダは来日して野宮真貴と出会い、交流が始まり、2008年に日本とブラジルでジョイント・ライヴを開催。コラボ盤のミニ・アルバム『MAKI-TAKAI NO JETLAG』も発表した。フェルナンダの最新リーダー作『Será Que Você Vai Acreditar?』(2020年)にも、野宮真貴をゲストに迎えてポルトガル語と日本語で歌う「Love Song」が入っている。


東京スカパラダイス・オーケストラとエミシーダ

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 2015年、メキシコ公演を終えて初めてブラジルを訪問した東京スカパラダイス・オーケストラは、エミシーダとの共演で「上を向いて歩こう」の新ヴァージョン「Olha pro céu」を録音。エミシーダが原曲の歌詞の世界観をふまえてポルトガル語の歌詞を書き下ろした。さらに、リオのファヴェーラで活動するアフロヘギの打楽器隊とも共演した。

 スカパラは2016年7月、サンパウロでワンマン公演、リオで国際交流基金主催公演を、エミシーダをゲストに迎えて行ない、11月にはエミシーダのバンドを迎えて東京公演も行なった。子供の頃から日本のアニメや漫画や映画が大好きで、日本に来ることが夢だったと話していたエミシーダは、自分より年長のスカパラを家族同様の存在とリスペクト。スカパラの『GLORIOUS』(2018年)に1曲、ゲスト参加し、自身の新作『AmarElo』ではスカパラのホーン4人と沖祐市(ピアノ)をゲストに迎えた。

Emicida - Quem tem um amigo (tem tudo) part. Zeca Pagodinho, Tokyo Ska Paradise Orchestra e Prettos

オ・テルノと坂本慎太郎

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 このように、日本とブラジルの音楽家の交流は近年、日本の音楽家の録音にブラジル勢が参加するだけでなく、ブラジルの音楽家の録音に日本勢が参加することが増えて新たな次元を迎えた。

 チン・ベルナルデスを中心とするサンパウロのバンド、オ・テルノがデヴェンドラ・バンハート、坂本慎太郎(元ゆらゆら帝国)と共演したシングル曲「Volta e Meia」を2019年に発表。この曲はアルバム『atrás/além』にも収録された。

 2017年、ドイツのケルンで開催された音楽フェスで三者が出会い、共演したことがきっかけだという。この曲で坂本慎太郎は日本語詩の朗読とコーラスを行なっている。


さかいゆう

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 シンガー・ソングライター、さかいゆうが2019年、ロンドン、ニューヨーク、LA、サンパウロで録音したアルバムが『Touch The World』。

 サンパウロ録音の2曲は、故プリンスのキーボード奏者だったブラジル人、ヘナート・ネトがプロデュースし、ジャヴァンの息子マックス・ヴィアナらが参加している。

 インタビューした際、「ジョアン・ジルベルト、アントニオ・カルロス・ジョビンはもちろん知ってますけど、正直、ブラジル音楽をめちゃめちゃ聴いてたわけじゃないんで。でもブラジルのファンク・バンドは好きでしたね。ブラジル人のファンクとかブラック・ミュージックは面白くて、絶対にレイドバックしないでみんなが常に前に前に疾走感で行くから、それがエネルギーを生むのが爽快で。同時の音圧力みたいな(笑)。あれはすごいですよねえと語っていた」と語ったさかいゆうは、エヂ・モッタとの共演も望んでいる。

想い出Obrigado "Obrigado pelas memórias" さかいゆう

BEGIN

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 石垣島出身の3人組、BEGINは、沖縄からの移民が多いブラジルで2011年に初公演、。2013年の公演ではブラジルの音楽家とも共演し、映像ソフト『BEGIN BRASIL -LIVE IN SÃO PAULO-』を発売した。

「BEGIN BRASIL-LIVE IN SAO PAULO-」トレーラー映像

 2015年、ブラジルのサロン・カーニヴァルの発想を母体に、マルシャのリズムを取り入れて自分たちの代表曲をノンストップ・メドレーで歌い演奏するアルバム『ビギンのマルシャ ショーラ』を発表。2017年には洋邦のカヴァー曲からなる第2集も発表した。

 BEGINは2017年のブラジル訪問の際、2013年のサンパウロ公演で共演した北東部の音楽の歌手・アコーディオン奏者、アドリアーナ・サンシェスの録音にゲスト参加した。曲はルイス・ゴンザーガの「Baião」。三線の演奏もフィーチャー、比嘉栄昇は日本語で歌っている。 

 思えば、この連載の初回の冒頭で紹介した、生田恵子が1951年にリオで録音したブラジル音楽が、ルイス・ゴンザーガ作の2曲だった。半世紀以上を経て、歴史が1周したと言えるかもしれない。そしてブラジルと日本の音楽の交流史の背景に、110年を越す日本からブラジルへの移民の歴史があることを、あらためて実感せずにはいられない。

(ラティーナ2021年4月)

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