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[2019.02]【連載】タンゴのうた 詩から見るタンゴの世界 第13回 ナーダ(何も無く)

文●西村秀人 text by HIDETO NISHIMURA

歌のタンゴの話をする時、ほとんどの場合言及されるのは作詞家か歌手である。しかし作曲家の存在も忘れてはいけない。特に今回取りあげるバンドネオン奏者ホセ・ダメスのように、現代でも受け継がれる名曲を3つも残したにもかかわらず、演奏家としてはまったく運のなかったケースではなおさらである。

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 バンドネオン奏者ホセ・ダメスの作った3大ヒット曲といえるのはこの「ナーダ」(Nada)、「昔の二人(フイモス)」(Fuimos)、「あなた(トゥ)」(Tú)である。どの曲もロマンティックでありながら、現代的な響きも備えており、ホセ・ダメスの非凡な才能を十分に発揮した作品と言えるだろう。

ミゲル・カロ—楽団、ラウル・イリアルテ歌「ナーダ」<発表当時のヒット盤>

ミゲル・カロ—楽団ラウル・イリアルテ歌「ナーダ」<発表当時のヒット盤>(1944年)

 ホセ・ダメスは1907年ロサリオ生まれ、幼い時からバイオリンとアコーディオンを習得、18歳の時一家でブエノスアイレスのサン・フェルナンドに移住するとバンドネオンに転向、カルロス・マルクッチらに師事し、1930年代前半からトリオやクアルテートでプロ活動を始める。1934年にロランド・ドデロと共に「ドデロ=ダメス楽団」を結成、ラジオにも出演するが、当時はタンゴ低迷期、録音の機会はなかった。その後アンセルモ・アイエタ、フアン・カナロ、ロドルフォ・ビアジ、フランシスコ・ロトゥンドらの楽団を転々とする一方で、上記の3曲をはじめとする数々の名曲を発表するも自己の楽団を持つ機会はなく、自分中心で演奏する機会がある時はギター2本の伴奏によるバンドネオン・ソロだったという。

 1960年代の初め、トリオから発展させたと思われるバンドネオン2人とギター2人による「ホセ・ダメス&スス・パイサーノス」名義でフィリップス・レーベルに3枚のアルバムと1枚の17センチ盤を残す。しかし曲のほとんどはランチェラ、パソドブレ、ワルツ、フォックストロットなどのダンス音楽、明らかにオデオン・レーベルのドル箱だったラファエル・ロッシの路線を真似たものであった。唯一タンゴが含まれているアルバムはアグスティン・マガルディ曲集なのだが、そちらはマガルディのそっくりさん歌手トゥリオ・リーバスがメインで、ホセ・ダメスはあくまで伴奏。しかしこれらのレコードこそホセ・ダメスが生涯に残した公式録音のすべてである。「ナーダ」「フイモス」「トゥ」いずれも自作自演は残っていない。

1934年のドデロ=ダメス楽団(ダメスは向かって左のバンドネオン奏者)

1934年のドデロ=ダメス楽団(ダメスは向かって左のバンドネオン奏者)

 1970年頃から歌手マリオ・ポンセ・デ・レオンが経営するタンゲリーア「ラ・ファローラ」で毎晩深夜まで同郷のピアニスト・作曲家アルベルト・スアレス・ビジャヌエバと演奏、ビジャヌエバは1980年に世を去ったが、ダメスはその後も1994年に87歳で亡くなるまでずっと小さな店での深夜演奏を細々と続けていたという。つくずく演奏家としては大きな成功とは縁のない人だった。

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