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[2019.08]追悼:ジョアン・ジルベルト 奇跡の8ヶ月、 あるいは 海や花や風に到達するための合理的な方法

文●岸 政彦 text by MASAHIKO KISHI

プロフィール●社会学者・作家 立命館大学教授。社会学、沖縄研究、生活史などが専門。主な著書に『同化と他者化──戦後沖縄の本土就職者たち』『街の人生』『断片的なものの社会学』(紀伊國屋じんぶん大賞2016受賞)『ビニール傘』(第156回芥川賞候補・第30回三島賞候補)『マンゴーと手榴弾──生活史の理論』『図書室』(第32回三島賞候補)など


 1952年に歌手として最初のレコードを出してから鳴かず飛ばずで、1955年ごろにはジョアン・ジルベルトは、リオで、金もなく、友人もなく、精神的にも最低の状態にあった。

 肩に掛かる長い髪(当時これは精神異常者の格好だと考えられていた)、何日もあたっていない鬚、何週間もそのまま寝ているのではと思われるようなしわくちゃな服(実際、彼はそのまま何日も寝ていたのだった)。(ルイ・カストロ、1992年、『ボサノヴァの歴史』、国安真奈訳、JICC出版局、157頁)

 見かねた友人が、静養のために、1955年の1月から9ヶ月間にわたって、ジョアンをポルト・アレグレのホテルに住まわせた。その街にもやがていられなくなって、ジョアンは1955年の9月に、遠くの街に住んでいた、仲がよかった姉のもとを訪れる。とつぜん弟が連絡もなしに訪れてきて、姉は驚いた。しかしそのまま、1956年5月までのあいだ、弟を自分の家に住まわせた。そしてこの短い滞在のあいだに、ジョアンは家にひきこもって、たったひとりでボサノヴァの原型を生み出した。この8ヶ月のあいだにジョアンが考え出したギターの奏法や歌い方、発声法が、人類の音楽を永遠に変えてしまうことになる。

 これは、音楽の歴史を変えた、奇跡の8ヶ月だったのだ。

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