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[2021.10] 【連載シコ・ブアルキの作品との出会い⑫】人々から何かを持ち去っていく何か — 《Roda Viva》

文と訳詞●中村 安志 texto e tradução por Yasushi Nakamura

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 物事を自由に表現することが厳しかった時代に、一見矛盾した言葉を盛り込みつつも、聴く者の脳裏に鋭い主張を浮かび上がらせ、人々の強い共感を呼んできたシコ・ブアルキの作品。今回は、シコ自身が台本を書き、上演された演劇「Roda Viva(回りゆく輪)」の主題歌として、シコが作ったヒット曲をご紹介します。

シコ12用ダブルトーン

↑サンパウロのオフィシーナ劇場での「Roda Viva」リハーサルの様子。向かって左端がシコ。

 シコにとって初めての演劇作品となった「Roda Viva」の初演は、1968年1月、リオ(プリンセーザ・イザベル劇場)で、ゼー・セルソ・コヘーア監督が指揮する中で行われました。話の大まかな内容は、テレビの急速な普及などを通じた60年代ブラジルにおける大衆文化の興隆を背景に、アイドル歌手として人気を博す男ベネジート・シルヴァが、更なる人気を狙ってベン・シルヴァー(英語 Ben Silver)に改名しようとする姿を描きながら、レコード業界やマスコミの操作に翻弄される典型的な人間像を示し、浅はかな大量消費社会への反省をにじませる、というもの。コヘーア監督は、数々の過激な演出を用い、当時の世相に対する挑戦的メッセージを観衆にぶつけた結果、かなりの反響を呼んだと言われています。

 そして、この劇は、政府を批判するような要素やセリフを一切含んでいなかったにもかかわらず、 68年7月半ば、サンパウロ公演が2か月を経過しようとしていたとき、軍当局の共産主義者摘発部隊が劇場に突如押し入り、舞台セットを破壊、楽屋にいた俳優たちも殴打され、衣装を引き剥がされるなどのかなり乱暴な行為を受ける出来事に至りました。
 シコは、後年行ったインタビューで、こう語っています。劇場の別なフロアで、「フェイラ・パウリスタ・ヂ・オピニアン」という演劇イベントが行われていた。そこで上演していたのが、(シコ・ブアルキ作品についてのこの連載の10回目で私がご紹介した)「親愛なる我が友よ」という歌で手紙の宛先となっている劇作家ボアル(軍当局に睨まれ、後にポルトガルに逃亡)による明らかに左翼的な作品であった。摘発部隊は、元々それを狙ってやってきたのだが、ボアルの劇が予定時間より早く終わってしまっていた。部隊の連中も、仕事せず帰っては給料がもらえない。仕方なく、別フロアで上演していた「Roda viva」の一団に殴り込んだ、そう聞いている、と。

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