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[2021.10] 映画評 『ジャズ・ロフト』『MINAMATA ─ ミナマタ ─』

カメラマンとして世界の頂点に立ったユージーン・スミスの、
その後の人生の流転を2本の映画が鮮やかに描き出す。

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文●圷 滋夫あくつしげお(映画・音楽ライター)

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Self-portrait, W. Eugene Smith, © 1959 The Heirs of W. Eugene
Smith.

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©1999,2015 The Heirs of W. Eugene Smith.
『ジャズ・ロフト』
10 月 15 日(金)より Bunkamura ル・シネマ他全国順次公開
https://jazzloft-movie.jp/
配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム

 まるで夢のような時間が流れている。気の置けない仲間に囲まれ、何かに縛られることも時間を気にすることもなく、自分の好きなことだけに情熱を傾ける。『ジャズ・ロフト』は、世界的な写真家ウィリアム・ユージーン・スミスが1957年から家族と別れて一人で移り住んだマンハッタンのロフトでの生活を、ユージーン自身が記録した膨大な数の写真と音素材、そして実際にそこにいたアーティストを含む多くの関係者の証言から探った渾身のドキュメンタリー映画だ。

 アメリカでは1950年代に白黒テレビが普及するが、グラフ誌が持つジャーナリスティックな役割はまだしっかりと機能していた。中でも最も影響力を持っていたライフ誌の花形カメラマンとして、ユージーンは引っ越す前から既に世界的な名声を得た写真界のスーパースターだった(例えば若きラリー・クラークやダイアン・アーバスが彼に会いにロフトを訪れる)。しかし作品に対する拘りが強く、妥協を許さず信念を貫く仕事のやり方によって、彼は何度も編集者と衝突して激しい軋轢を抱えることになる。それは金銭的な問題にも繋がって家庭内にも不和を生み、遂には仕事に集中するために家族と離れて一人で暮らすことになったのだ。

 この頃のマンハッタンには、自由で寛容な空気が流れていたのだろう。ユージーンが移り住んだ “6番街のロフト” は商業地区だったが、デヴィッド・ヤングという画家の差配によって人々は5階建てビルの3〜5階を事務所と偽って、勝手に電気を引いて違法に住んでいたのだ。そしてデヴィッドがここにピアノを持ち込んだことで、主にジャズ・ミュージシャンや様々な芸術家の溜まり場のような場所になっていた。噂を聞いた多くのミュージシャンが、夜中にジャズクラブでの仕事を終えてからここに集まり、夜な夜な朝方まで続くセッションによって切磋琢磨していたのだ。商業地区でこの時間帯には人がいなかったからこそ可能な、夢のような話だ。

 ユージーンはロフトに移り住んで、早速窓から見える6番街を行き交う人々や、ロフトを訪れる人々の日常の風景を撮り始める。そして同時に最新の録音機材を揃えて、毎晩のように夜通し繰り広げられるセッションも記録し始める。その行為はエスカレートし、自分が住む4階の部屋の天井に穴を開け、そこにマイクを通して5階でも行われていた演奏も記録するようになる。さらにはテレビやラジオの音声、電話や廊下、階段での会話までも録音し始める。まるで “6番街のロフト” という特異な空間を包む自由な空気感や雰囲気も含め、丸ごと後世に残そうとするかのように。実際ユージーンは「このビルについての本を作っている」と、巡回中の警官に語っている。

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