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[2019.04]【連載】タンゴのうた 詩から見るタンゴの世界 第15回 カミニート(径)

文●西村秀人 text by HIDETO NISHIMURA

何を今さら、という感じのタンゴの大名曲。作曲はタンゴのゆりかごであるラ・ボカ地区の名士としても知られるフアン・デ・ディオス・フィリベルト。しかし作詞者ガビーノ・コリア・ペニャローサとこの歌詞の真実は意外なほど知られていない。

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 作詞者ガビーノ・コリア・ペニャローサは1880年(資料によっては1881年)、メンドーサ州ラ・パスの生まれ。母はアルゼンチン独立後の内戦期にブエノスアイレスの中央集権主義に反対し立ち上がった地方ボスの一人、アンヘル・ビセンテ・ペニャローサ(「エル・チャチョ」)の末裔であった。早くから詩と文学の世界にあこがれ、15歳で家を飛び出し、ブエノスアイレスで雑誌などにものを書きながら、詩人として暮らすようになる。

カルロス・ガルデル「カミニート」(日本盤)

カルロス・ガルデル「カミニート」

イグナシオ・コルシーニ歌「カミニート」

イグナシオ・コルシーニ歌「カミニート」

 1920年、引き続きブエノスアイレスで文章を書く仕事をしていた40歳のガビーノ・コリアは、友人だった画家キンケラ・マルティンからフアン・デ・ディオス・フィリベルトを紹介される。(2人の出会いを1923年とする資料があるが、最初の共作「白いスカーフ」が1920年発表であることを考えると1923年はありえない) フィリベルトはその少し前、1918年に「バンドネオンの嘆き」を発表していたが、タンゴの趨勢はすでに歌のタンゴ(タンゴ・カンシオン)にあった。2人は1920年に「白いスカーフ」(エル・パニュエリート)、21年に「小さな手紙」(ラ・カルティータ)を発表、いずれも2人の共通の友人カルロス・ガルデルによってレコード化された。さらに1923年に「エル・ラミート」「エル・べシート」「ラ・タクアリータ」(最後の曲のみサンバ)、1924年「ラ・ブエルタ・デ・ローチャ」と、ガビーノ・コリアとフィリベルトの共同作業は続いていく。

 1925年のある夜、いつも集っていたフロリダ通りのバーで、「いいメロディが出来た、歌詞を付けてくれないか」といってフィリベルトはハミングしながら、紙にメロディを書き留め始めた。ガビーノ・コリアは「わかったよ、数日あれば大丈夫」と応じたという。

 それから4か月ほど過ぎたある日のこと、フィリベルトから「どうしても完成した曲が必要なんだ。あの曲はどうなった?」とかなり焦った感じの電話。ガビーノは依頼を受けた時酔っぱらっていたので、約束をすっかり忘れていた。やむを得ず急いでメモ書きをひっくり返すと、大昔に書いた一編の詩が目に留まった。その詩は驚くほどメロディにぴったり合った。

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