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[2018.10]【連載】タンゴのうた 詩から見るタンゴの世界 第9回 ママ、私恋人がほしいの

文●西村秀人 text by HIDETO NISHIMURA

1917年最初の歌のタンゴ「わが悲しみの夜」が登場した時、歌のタンゴは男性が歌うものになった。ほどなく女性タンゴ歌手も登場したが、歌のタンゴは男性の立場で歌う曲が圧倒的に多い。そんな中、歌のタンゴの最盛期である1928年、ウルグアイからユーモラスなヒットタンゴが登場した。

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 最初の語りがヒントになるが、元来この曲は男性歌手が、元気でおませな女の子を模して歌うというコミカルなタンゴなのであった。作曲はラモン・コジャーソ(1901〜1981)、作詞はロベルト・フォンタイナ(1900〜1963)、初演者はアルベルト・ビラ(1903〜1981)。全員ウルグアイ人で、法科の大学生を中心に結成された寸劇集団「ラ・トロウペ・アテニエンセ」のメンバーである。「トロウペ」とはカーニバルの軽演劇グループで、特にこの「アテニエンセ」は当時一番人気を持った。劇中歌もメンバーで作っており、歌のタンゴもそのレパートリーに多く含まれた。メンバーたちの作ったタンゴには、タンゴ歌手のレパートリーとして流行したものも少なくない。代表的な作品としては、ラモン・コジャーソ曲の「アラカ・パリ」(セサル・レンシ詞)、「アグア・フロリーダ」(フェルナン・シルバ・バルデス詞)、ビクトル・ソリーニョ&ロベルト・フォンタイナ曲+フアン・アントニオ・コジャーソ詞による「ニーニョ・ビエン」、「ガルーファ」、アドルフォ・モンディーノ作曲+ビクトル・ソリーニョ作詞による「ネグロ」、「マウラ」などがある。

「クンパルシータ」の作者マトス・ロドリゲスと、「ママ、恋人...」の作者2人(1924年パリ)

「クンパルシータ」の作者マトス・ロドリゲスと、「ママ、私恋人がほしいの」の作者2人(1924年パリ)

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「ママ、私恋人がほしいの」オリジナル楽譜表紙

 コジャーソとフォンタイナのコンビによる「ママ、私恋人がほしいの」の初演者は、すでにソロ歌手としてブエノスアイレスで活躍していたアルベルト・ビラで、1928年9月3日に録音した。その次の録音はオルケスタ・ティピカ・ビクトル(ロベルト・ディアス歌)で同年12月17日の録音。しかし内容の軽さからか、ガルデル、コルシーニ、カナロ、フィルポ、デカロ、ロムートといった当時の大物たちは誰も録音していない(フレセドだけは歌手伴奏で録音したが、米国公演中のイレギュラーなものである)。マイサニ、シモーネ、キロガといった初期の女性歌手もとりあげていない。しかしこの曲はヨーロッパで爆発的にヒットを始める。

 ヨーロッパで最初にこの曲を録音したのは、アルゼンチン人バチーチャの楽団で1929年の前半、リーダーの夫人エミリア・ガルシーアの歌が入ったものだった。その後マヌエル・ピサロ(歌はピサロ自身)、ロランド・ドゥ・ペロン(男性歌)、アリナ・デ・シルバ歌、ラファエル・カナロ(カルロス・ダンテ歌)、カトゥロ・カスティージョ(ロベルト・マイダとエミリア・ガルシーア歌)。バチーチャ楽団の再録音(1930年、フアン・ラッジとエミリア・ガルシーア歌)、エドゥアルド・ビアンコ(1932年、ホセ・コアン歌)、トリオ・アルヘンティーノ(歌はロベルト・フガソー)、さらにドイツでは内容を変えた歌詞がついてタイトルも「タンゴ・ローラ」と改題し大いに流行したという。

 注目すべきはいくつかの録音で女性歌手が歌っている点。歌詞の内容を文字通り女の子として歌った点で、曲が作られた際の文脈から切り離した形で再解釈されたわけだ。

巴里ムーランルージュ楽員「ママ(銀座タンゴ」

巴里ムーランルージュ楽員「ママ(銀座タンゴ」(1932年)

 一方、日本ではこの曲は何といっても藤沢嵐子のレパートリーとして知られている。曲自体は戦前バチーチャ楽団などのレコードで親しまれ、1932年に日本にやってきた欧州人の寄せ集めタンゴ楽団「巴里ムーランルージュ楽員」も来日当初からこの曲を演奏、同年9月に「ママ(銀座タンゴ)」というタイトルで録音もしている(歌は入っていない)。

ブエノスアイレス、スプレンディド放送局で歌う藤沢嵐子(1953年)

ブエノスアイレス、スプレンディド放送局で歌う藤沢嵐子(1953年)

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