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[2019.04]パンチョ・アマートに訊く キューバ音楽のこと

文●田中勝則/写真●宮ヶ迫ナンシー理沙 text by KATSUNORI TANAKA / photos by NANCI LISSA MIYAGASAKO

 まるで高校野球のような一生懸命さ。パンチョ・アマート楽団の来日公演を一言で表せば、そういうことになるのだろうか。とうに還暦を過ぎたパンチョ自身を別にすれば、メンバーのほとんどは若手。それが最初から最後までまったく手を抜くことなく、お客さんに喜んでもらうために懸命に演奏する。そもそも彼らがやっている「ソン」という音楽は、現在のようなスタイルになってからでもすでに100年が経過する。それでいてこの若々しさ、清々しさだから、ほとんど奇跡的だ。それを見ることができただけでも貴重な体験をさせてもらったと思った。

 実は今回の来日において、ぼくが公演と同じくらい楽しみにしていたのが、パンチョとの再会だった。ぼくが彼に会ったのは、なんと27年も前の1992年。『ノーチェ・トロピカール』というキューバ音楽のレビューのために来日したときだった。当時のぼくは、いまと違って現役バリバリの音楽評論家だ。神戸と東京で全10公演を見て、終演後は毎晩のようにホテルで音楽家たちにインタビューをするほどの熱心さだった。そうして出会った音楽家たちの中でも、もっとも仲良くなれたのがパンチョさん。たしかその後も国際電話で何度か話した記憶がある。

 そんな当時41歳だったパンチョが68歳になり、32歳だったぼくは59歳になった。でもパンチョはぼくのことを覚えていたようで、通訳の太田亜紀さんに〈タナカは日本で私に最初にインタビューした人だ〉なんて紹介していた。そんなわけで、ぼくらの会話はどうしても27年前の『ノーチュ・トロピカール』の思い出話が中心になってしまう。パンチョのキャリアなどについては本誌1月号の太田さんによるちゃんとしたインタビュー記事でご覧いただくとして、ぼくの原稿は年寄り同士の昔話だと思って読んでください。

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