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[2019.08]あのTOM ZÉ が 日本にやってくる!?

文●國安真奈 text by MANA KUNIYASU

 トロピカーリア(トロピカリズモ)を振り返る時、誰もが気づくのは、カエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル、ガル・コスタ以外の「関係者」は、今なお日本ではあまり知られないままでいることだ。だが、そのあまり知られていない人たちのうちでも大物中の大物、トン・ゼーの来日がこのたび決定した。

 あのトン・ゼーが。一報を聞いて、まず頭に浮かんだのは、何年か前にリオで観たステージだ。楽曲と風刺劇が一体になったような演出で、ことさら強い北東部訛りと独特の節回しを用いて、他愛がなかったり意味深だったりするジョークを自在に連発し、観客をひっきりなしに笑わせていた。そこでは、トン本人が重要視していると言われている、演者と観客の間の「暗黙の了解」、つまり社会文化的背景を共有しているという前提が、始終確認され、進化的な形で再生されていた。残念ながら、海外での彼のステージは観たことがない。社会や文化の背景や文脈の異なる観客との「暗黙の了解」は、どのように見出され、共有されるのか。決定した日本公演には大いに興味を掻き立てられる。

 しかし、その前に、そのトン・ゼーとは一体何者なのか? 本人の言は来日後の楽しみにとっておくとして、今のところ、その謎を読み解く鍵の一つはカエターノ・ヴェローゾの著書に見つかる。

 60年代末に、北東部バイーア州からサンパウロへ出て来ないかとトン・ゼーを誘い、一緒にサルヴァドールから南東部へ向かう飛行機に乗ったのは、トロピカーリア・ムーヴメントの首謀者の一人、カエターノ・ヴェローゾだ。カエターノはその著書(※注1) で、次のように記している。

 〝バイーアへ何度か行く中で ──サルヴァドールへ帰らずに二ヵ月とは過ごしていなかった── 僕はトン・ゼーをサンパウロへ一緒に来ないかと誘った。トン・ゼーは、ヴィラ・ヴェーリャ劇場のこけら落としのショーを一緒に上演した仲間だった。僕がサルヴァドールのアーティストやボヘミアンたちの集まる場所へ通いだした頃、彼はすでに学生たちに知られた存在だった。カピナン(※注2) と同様に(しかも彼とトン・ゼーとは、UNE(※注3) の大衆文化センターのバイーア支部が上演した何らかの演劇で協力していた)、トン・ゼーは僕の知っていたアーティストたちの間で声望があった。画家のソニア・カストロやレナ・コエーリョ、舞踏家のライース・サルガード、パウロとヘナ・ファリアの両教授の全員から、僕はトン・ゼーの話を聞かされていた。〟

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