[2019.06]追悼ベッチ・カルヴァーリョ 〜 誇り高き炎のサンバ闘士〜
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[2019.06]追悼ベッチ・カルヴァーリョ 〜 誇り高き炎のサンバ闘士〜

文●佐藤 由美 text by YUMI SATO

 4月30日、〝パゴーヂのマドリーニャ(代母)〟〝テヘイロ(サンバ奥義の場)の女神〟〝サンバの女王〟と謳われた女性歌手が、年明けから入院中だったリオ市内の病院で72年の生涯を閉じた。死因は敗血症。葬儀は5月1日、ボタフォゴ・クラブでいとなまれた。

 おそらくベッチほど、日本でサンバに親しむファン、歌と演奏を志す人々に絶大な影響を与えたシンボルはいまい。とりわけ70年代後半以降、どれほど多くの者がベッチを通して珠玉のサンバと重要なサンビスタの名を知り、彼らの手がけた濃密で奥深いサンバ世界に目覚め、生涯の友としてきたことか。痛苦にみちた人生の悲哀を歓喜にすり替えてしまう、サンバ特有の天衣無縫なセンスと尽きせぬ味わい。それら楽曲を生んだコミュニティの真の姿と途方もない魅力を、彼女はいつもありのままに伝え、運んできてくれたのだから。

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写真:浅田英了

 ベッチは偉大なサンバのインタープリターであると同時に、つねに社会的使命感をもって楽曲を紹介する、誇り高き炎の闘士だった。温もりあふれるハスキーな歌声に包容力と寛容さを覗かせながら、頑固で気難しい一面も持ち合せていた。オフィシャルサイトのバイオグラフィを読むと、念願だった訪日を叶えられずにきた口惜しさが滲み出ていると思えてならないのは、うがった見方だろうか。いや、実際グチってたんですけどね……。

 ベッチこと、エリザベッチ・サントス・レアル・ヂ・カルヴァーリョは、1946年5月5日にリオのガンボア地区で生まれた。片方の祖母ヘスーおばあちゃんは北東部内陸のピアウイー州テレジーナ出身で、バンドリンとギターをよく弾いた。幼い少女はラジオ・ナシオナルの番組をたくさん聴いて、女性歌手たちに感化されたという。シルヴィオ・カルダスは5歳になったベッチの誕生日を祝いに来たそうだし、アラシー・ヂ・アルメイダやエリゼッチ・カルドーゾとも家族ぐるみで親交があったらしい。なんと音楽環境に恵まれた家庭だろう。母親に連れられカーニヴァルのパレードに参加していた少女は、自らチーム愛の対象にマンゲイラを選び取ったそうだ。

 当時の中産階級の若者が憧れたように、十代のベッチもボサノヴァに触発されギターを習い始める。父親が軍政時代の左派狩りに遭ったため、当然ながら反軍政の行動にも身を投じた。ちなみに、最期までルーラ、ジルマ・ルセフ元大統領支持を表明していた。


 65年の初シングル盤でメネスカル&ボスコリ作品を録音したが、翌年にはサンバと関り始め、ネルソン・サルジェント&ノカ・ダ・ポルテーラのショーに参加。数々の歌謡フェスティバルにエントリーし、68年国際歌謡祭で3位入賞の「アンダンサ」で一躍脚光を浴びる。69年、ファースト・アルバム『アンダンサ』をEMIオデオンよりリリース。

 新進MPBシンガーとして頭角を現したが、彼女自身が選んだのはサンバの核心に向かう道だった。カルトーラやネルソン・カヴァキーニョのもとへ足を運んでは、彼らの存在に正当な光を当て敬意を授けるべく、ギターとカヴァキーニョを手に再現を模索した。73~75年、かつて日本盤でも発売された3作をタペカールより発表。リオ・サンバの深奥部へと分け入り、76年の代表作『すばらしき世界』(RCA移籍作)でついに大成功をつかむ。

 マルチーニョ・ダ・ヴィラにパウリーニョ・ダ・ヴィオラ、クララ・ヌネスにアルシオーネ、渋いところではジョアン・ノゲイラやホベルト・ヒベイロ……70年代末から80年代半ばにかけてのサンバ・シーンは、温故知新の美学を極めながら輝きを放っていた。

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写真:浅田英了

 ただしベッチは、類稀なイノベーターとしての使命を忘れておらず、その先を、未来を見据えていたに違いない。78年友人のヴァスコ・ダ・ガマ所属のサッカー選手アルシール・ポルテーラに伴われて行った郊外ハモス地区で、目を瞠る新たな現場と遭遇。水曜日のサッカー・ゲーム後にテーブルを囲んで開かれるサンバの宴、パゴーヂだった。

 カシーキ・ヂ・ハモス(ハモスの酋長)を名乗る仲間は、すでに新興ブロコ(カーニヴァル・チーム)の狼煙を上げていたが、パゴーヂ集会を、日常のサンバを互いに披露し合う好機と捉える。料理と酒とサンバの交流拠点は次第に輪を広げ、無名の若きサンビスタを絶えず外部から吸い寄せていた。全盛期のタマリンド樹の下は、さぞかし賑やかだったろう。

 ベッチはカシーキの宴の中で瑞々しい才能と出会い、彼らの多彩な楽曲・楽器編成のアイディアを直ちに自らのアルバムで投影していく。78年発表の『地に足をつけて(邦題:私の道)』は、サンバ界で起こりつつある現在進行形の事件を初めて世に認識させたアルバムで、エスコーラ所属重鎮らのサンバに混じり、ハモス発の闊達なパゴーヂが披露されている。親分ビラ・プレジデンチ、彼の弟ウビラニ、ネオシらのクレジットは〝コジーニャ(台所)〟、つまり最重要な土台と明記された。そして、ラスト曲がネルソン・サルジェント作「サンバは死なず」……実に象徴的ではないか。

 79年『サンバの宴』、80年『センチメント・ブラジレイロ』と、カーニヴァル・シーズンの大ヒットとともにベッチは快進撃を続ける。一方でパゴーヂのメンバーらを後押しし、フンド・ヂ・キンタル、アルミール・ギネト、ゼカ・パゴヂーニョらのシーン浮上を促した。

 88年までRCAでコンスタントに新作をリリースしたが、その後の移籍先フィリップスでは嗜好の変化やレコード会社の要請ゆえか、サンバを発表しながらもMPB歌手に匹敵するヒットを飛ばしていく。現代版名クルーナー、エミリオ・サンチアゴのレパートリーだった「サイゴン」。89年のソフトなサンバ「サウダーヂス・ダ・グアナバラ」等々だ。

 かたやベッチが支援したパゴーヂ勢の一部は、90年代までに驚異的なスター街道を歩み出しており、安定した〝マドリーニャ〟のライヴにもパゴーヂ人気で誕生した若年層が増えつつあった。畢竟、彼女の立場はサンバ界のシンボルでありながら、MPBのファン層とディープなサンバ界の強靭な橋渡し役だったのではないか。98年1月末、ハモス地区の裏庭で特等席にどっしり座る柔和そうなベッチを眺めながら、そんな思いを強くした。

 余談ながら、個人的にベッチを初めて観たのは80年代半ばのリオだったと思う。楽屋で遊ぶ愛娘ルアーナが幼児だった(※今だから打ち明けるが、幼い娘を同道できないというのが、来日の機を断念する理由だった。ゆえに恨みは根深い……)。当時の本誌通信員(Alceu Maia)にハモスでのパゴーヂ訪問を誘われるも、他用で行けなかったのが今なお悔やまれる。99~2000年にかけ、ショー『パゴーヂ・ダ・メーザ』を幾度となく見届けた。喉を傷めたり治ったりを繰り返すも、ステージ上のベッチはいつも女王然として華やかかつ厳かで、最高の伴奏陣を従えていた。ギターのネコ、スルドのゴルヂーニョ……。

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写真:浅田英了

 09年末、ベッチは脊椎下部の仙骨裂傷により休養を余儀なくされた。11年に復帰して活動を再開するとともに、『我々のサンバは通りにあり』をスタジオ録音。リリース公演は13年にやっと実現したそうだ。昨年9月1日、『地に足をつけて』から40年を期し、フンド・ヂ・キンタルとのリオでの邂逅ステージで、ベッドに横たわったまま歌うベッチの姿に誰しも衝撃を覚えたはず。もはや、地に足を下ろして立つことすら叶わなず。それでも今年の誕生日にリオ公演を控え、入院中のベッドで歌い、手拍子を打つ映像を公表していた。

 〝炎の闘士〟が種を蒔き手塩にかけて育てたサンバ豊穣の宝を、我々も大切に歌い継いでいくことを誓わねばなるまい。かくもベッチという存在は、日本において特別だったのだ。


ベッチの遺したアルバム

※ アルバム選出にあたり最強の助言をくれたサンビスタ、鷹取寛行氏に感謝したい。


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『Mundo melhor』 1976(RCA/Sony Music)

『すばらしき世界』の邦題で78年LP初リリース。我が国のファンをサンバの核心へ、共に歌い演奏する喜びへと導いた。溌溂とした歌声の魅力に加え、秀逸な伴奏はサンバの手本のよう。日常のサンバを厳選し、カルト―ラ、ネルソン・カヴァキーニョ、イズマエル・シルヴァら重鎮を広く大衆にアピールした、RCA移籍第1弾ヒット作。


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『No pagode』 1979(RCA)

リオ郊外の新興勢力に逸早く着目し、ルーツ・サンバの多様性と豊かさを紹介したベッチ。『サンバの宴』の邦題で80年発売。カシーキ・ヂ・ハモスのパゴーヂを初めてスタジオに持ち込んだ実験作『De pé no chão(邦題:私の道)』に続く、選曲バランスに優れた完成度の高いアルバム。デビュー曲「アンダンサ」新ヴァージョンも収録。


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『25 anos de samba-Pérolas』 1992(Som Livre)

初期の若々しい勢いは落ち着きに転じ、穏やかな成熟の時を迎えて輝くベッチが味わえる。彼女にとって真珠の価値にも等しい、思い出深きサンバばかりを集めた芸歴25周年記念アルバム。「マンゲイラ讃歌」はじめ日本のファンにも人気の高いレパートリーが多く、同時代を牽引してきたマルチーニョや、マルサルも歌でゲスト参加。


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『Canta o samba de São Paulo』1993(Velas)

サンパウロ出身、もしくは当地と縁が深いサンビスタの作品ばかりを現地音楽家と演じた、名曲尽くしによるライヴ録音。リオに限定せず、時代を超えて良質な楽曲とその歌が生まれた環境を愛したベッチが、“サンバの女王”と称されるゆえんがここにある。発案&プロデュースはエドゥアルド・グヂン。ラストで観衆の大合唱に熱くなる。


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『Canta o samba da Bahia ao vivo』 2007(Andança/EMI)

サンバの源流にアプローチした、豪華サルヴァドール公演を収録。声質は荒れているが、彼女の広大な視野と芸歴の熟成度を窺わせる。ジル、カエターノ、ベターニア、ダニエラ、アルマンヂーニョ、オロドゥン他が共演。DVDも出たが、原点のバイアーナがステージを舞う姿は鳥肌もの。選曲&舞台監督はトゥリオ・フェリシアーノ。


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『Nosso samba tá na rua』 2011(Andança/EMI)

最後のスタジオ録音で、ベッチは不調を乗り越え、キャリアの総括と再会劇を力強く果たす。パゴーヂ・サウンド成功者ヒルド・オーラの音作り。スターに上り詰めたゼカとの共演、カシーキに捧げるサンバあり。「私はマンゲイラ、ブラジル人、大衆」と歌う自伝的ラストが実はルチオ・ダッラのポ語版とは、彼女の出発点にふさわしい。


(月刊ラティーナ 2019年6月号掲載)



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