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[2018.03]ディエゴ・スキッシ × 菊地成孔 スペシャル対談《後編》

《前編》はこちら

 日本とアルゼンチンの現代の音楽シーンを代表する鬼才2人の対談が実現した。ディエゴが「ザ・ピアノ・エラ 2017」への出演を控えた昨年11月某日、2人は対面。先月号掲載の前編から続く、対談後編。

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Photo by Ryo Mitamura ⓅTHE PIANO ERA

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■作曲とコンピュータと偶発性

菊地成孔 それで具体的な質問なんですけど、作曲する際にコンピュータは使いますか?

ディエゴ・スキッシ フィナーレ(楽譜作成ソフトウェア)で書いている。

菊地成孔 ああ、フィナーレ使っているんだ。

ディエゴ・スキッシ ピアノはブレブレブレブレバババ……って何も考えずに直感的にたくさん弾いて録音し、その後で書き出すんだ。夢とつなぐような感覚だ。その後コンピュータで書く。ごく非合理的なプロセスに始まり、バイオリンの音を入れたりという合理的なプロセスに入る。以前は最初から型にはめて書こうとしていてうまく行かなかった。今はタラ、トゥル、タラ、トゥルとかこんな風に(自由に)弾き始めて、理解を超えたものとつながる。譜面書く段階になると理解を超えたものが理解できる。

菊地成孔 コンピュータを使うと必ず、クオンタイズという機材上のスペックと、あとノーテーション、つまり楽譜に打ち出すということですけど、その二つと立ち向かなければならない。我々も自分が謎だと思って自分だけで解決できないと思っていたものが意外と、驚くべきことに、機械が持っているクオンタイズの機能上のものからヒントをもらったりする。

ディエゴ・スキッシ その通り。二つの面がある。ノーテーションとクオンタイズは時として人のアイディアを消してしまうこともある。抒情的な歌や音色に関するアイディアに関しては。でもまさにリズムに関するあらゆる点で特にポリリズムに関しては、こういった機能は偉大なマエストロだ。

菊地成孔 ですよね。機械からアイディアを得てしまうと、何かこう、テクノロジーに負けたような気がしちゃうんだけど。コンピュータのなかにも偶発性があって、コンピュータっていうのは人が漠然と思っているほど気の利かない、冷たいものではない。ターンテーブルとかも含めたあらゆるエレクトリックな機材が持っているものなんだけど、そういうものが持っている偶発性っていうのを作曲に還元できる人が僕はこれからの優れた作曲家だと思っています。あなたの作品からは常にそれを感じています。

ディエゴ・スキッシ それは僕たち共通の関心事だと思う。いろんなタイプのミュージシャンがいるけどこの部分はすべてのミュージシャンに共通の関心事だと思う。僕たちはタンゴを通して、表現という偉大なレクチャーを得た。タンゴとは表現の偉大な先生だ。一方でリズムに関してはタンゴは常に先生というわけではない。

菊地成孔 その通り、その通り。

ディエゴ・スキッシ 豊かな表現を教えてくれるのがタンゴで、そうした表現にとってはクオンタイズ機能は最悪だ。でもポリリズムに関すること、同時性、リズムに関するすべての点で、コンピュータをはじめすべてのデジタル機器は非常に有効だ。

菊地成孔 ディエゴさんと同じ考え方だと思うんですけど、僕は年齢的に54歳ですけどやっぱりいろんなものを聞いてしまう。自分はジャズミュージシャンだって名乗るし、肩書きにもそう書くし、メディアに出るときもそう名乗る。まず一回自分はジャズミュージシャンだっていう風に規定することからあらゆる可能性が自由に引き出せるようになった。僕の最初のジャズミュージシャンとしてのソロアルバムはフルコンピュータ、プロ・トゥールスで全部作った。ご存知かどうか、エル・ブジっていうスペインのポストモダン料理ですけども、科学的な作り方をしていて、すごく変わっていて。その料理にもとても影響を受けたんです。

ディエゴ・スキッシ ああ、エル・ブジ! フェラン・アドリアだね。

菊地成孔 フェランは僕と同い年で会ったこともある。

■ディエゴのフレーズの美しさ

菊地成孔 あなたの『トンゴス』っていうアルバムからのバンドネオン・ソロの打点を研究したことがあって、それがとても美しくてびっくりしました。

ディエゴ・スキッシ ありがとう。

菊地成孔 数小節のなかにもすごいリズミックな冒険がある。ジョン・コルトレーンとかがそうしたように、短いけれどもコンサバティブな側面もあるんだけど、リズミックでアグレッシブなところもあって。

ディエゴ・スキッシ こういうラインはまさにジャズからの非常にダイレクトな影響がある。ビバップ・ラインに近い。例えば自分のグループを編成して、作曲の構想をするとき、テンポに関しては、時にジャズの方向に行くこともあるし、時には自分のルーツのタンゴに戻ることもある。時に、アフリカ音楽寄りだったり、ノイズミュージック、プロコフィエフの方向に行くこともあってあらゆる可能性がある。でも僕の考えは最初に話したけど、音色は単一なんだ。バンドネオン、バイオリン、ピアノ、コントラバスという音色さえ保てば最後は合致する。まさに今聞いたラインはジャズのラインだ。

菊地成孔 今プロコフィエフっておっしゃいましたけど、いわゆる近現代音楽っていわれている、20世紀のクラシックの作曲家で他に誰か影響を受けた人はいますか?

ディエゴ・スキッシ ストラヴィンスキーが大好きだね。声楽曲ではラヴェル。最近の現代音楽の作曲家ではリゲティと武満(徹)だね。武満の音色には非常にフランスらしい世界がある。武満のオーケストレーションは日本のドビュッシーだね。それでありながら音色が非常に繊細。世界観が大きく、非常に深遠だ。武満は最近になって最も感動を受けたコンポーザーの一人だ。彼は彼自身の夢の翻訳者だ。彼の音楽を聴くとこう思う。「彼は自分の見ている夢を書いている」って。僕としてはそれに胸を打たれるし、感動する。

菊地成孔 彼は著述家としても非常に優れているんだけど、有名なタイトルの一つに『夢の引用』っていうのがある。

ディエゴ・スキッシ リゲティもそうだ。例えばリゲティは常にあらゆる音楽の影響を受けた作曲家だ。インドの音楽、アフリカの音楽、音列主義(Serialism)とかね。僕にとっては手が届かない存在なんだけど、「僕に教えてよ」というまなざしでいつも見ている。

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■届かない存在

菊地成孔 とてもすばらしいですね。「届かないんだけど」っていうことを何回もおっしゃる。独学だったりするからこそだと思うんですけど、実際の師弟関係、学閥みたいなものの外にいるから、ディエゴさんの心のなかに神様がいるような神域がある。一方で神に対して自分というのは徒弟ではなく子どもになるので敬虔なもの、あるいは無邪気なものがある。そういうものを強く感じます。

ディエゴ・スキッシ これは僕がよく話すことで、生徒たちにもよく言っているんだけど、自分にとっての先生がいれば先生の耳元に話しかける。つまり「イーゴリ、今やったのはどうやったの?」とか。イーゴリ・ストラヴィンスキーのことだよ。「イーゴリ! 今やったそれ! それ!」っていう親密さが重要なんだ。実際には神格化しているわけではないけど、作品に感動したときには、その作曲家がたとえ故人であっても親密な関係でいるべきだと思う。そばに立ってみる。だから二つの面があると思う。一方では手の届かない存在でありながら、もう一方では、実際に仕事をするときは彼らは実際に僕の隣にいる。

菊地成孔 あなたは一番最初にジャズピアニストであることをやめた理由を、学生のような状態になってしまうからとおっしゃいました。あなたは学校の学生であることは拒否しましたが、現実的な意味での学生ではある。神々がいて彼らの忠実な徒弟であってすごく若々しい。「学んでいくんだ」という違う意味での学生だと感じます。

ディエゴ・スキッシ その通り。僕がジャズの学生と言ったのは、自由がないという意味での学生なんだ。自由のないジャズの学生とか、クラシックの学生とか、何でもいいんだけど、「これをやってこい」という指示を受けてから行動する。好奇心に突き動かされるのではなく。僕の性格だと思うけど、僕は好奇心を呼び覚ますのに時間がかかった。すぐそこにあると感じてはいたんだけど、今は好奇心に基づいて仕事をしている。僕の生徒に教えるときは、それを教えるようにしている。生徒たちはいつも僕の指示を得ようとする。僕は「そうじゃない、自分の好奇心に従うんだ。僕は君じゃないからわからないよ」と答えている。そうすると生徒はやめてしまったりして。

菊地成孔 すごくよくわかります。同時代のミュージシャンで注目している人はいますか? 例えばヴァルダン・オブセピアンなどはどうでしょうか?

ディエゴ・スキッシ ああ、ヴァルダンだね。それにティグラン・ハマシアン、シャイ・マエストロ、ブラッド・メルドーも好き。こういう世代のジャズ・ピアニストがみんな好きだね。それにマルコ・メスキーダも好き。明日ピアノエラで一緒に演奏するマリオ・ラジーニャもすごく好きだね。

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■ブエノスアイレス─東京

菊地成孔 共演するんですね。すばらしい、すばらしい。僕はブエノスアイレスに一回だけしか行ったことがない。その間は6日間しかいられなかったんだけど。地球儀で東京に針を指すと真っすぐ反対側に突き出すのはアルゼンチンなんです。

ディエゴ・スキッシ ハハハハ、直行ルートがあるんだ。

菊地成孔 そうです、そうです。僕が言いたかったのはまさにそれで、一番遠い場所なんです。

ディエゴ・スキッシ 僕らはアルゼンチンにいるとき日本人がいると「何をしにこんな遠いところまで来るんだろう」って理解できない。でも今日、街を歩いていただけで涙が出てきた。場所が持つパワーに感動したんだ。自分という存在が異質であると感じる。それは時間にも関係する。日本はアルゼンチンより12時間進んでいて、僕らは丸一日遅れている。東京が火曜日ならブエノスアイレスは月曜日。日本は今日なのにアルゼンチンは昨日。これは強烈だ。

菊地成孔 そうです。まさに僕が言いたかったのはそのことで、ブエノスアイレスに行ったことは一生忘れないし、また行きたいと思っています。実は僕は昨日ニューヨークから帰国したばっかりで、ニューヨークとここ新宿はさほど変わらない。

ディエゴ・スキッシ そうだよね、タイムズスクエアみたいだよね。

菊地成孔 そうそうそう。リトル・チャイナとかね。あの、いろんな国に行きましたが、でもやっぱりブエノスアイレスは特別で今おっしゃったようにちょうど12時間ずれている。重力的に言うと僕の足とブエノスアイレスの人の足はつながっている。

ディエゴ・スキッシ ハハハハハ、それはいい!

菊地成孔 マジックリアリズムっていうのかな。

ディエゴ・スキッシ 強烈なコネクションが存在する。僕がそれを理解したのがまさに今日。ちょうどさっき3〜4時間前、渋谷の街を歩いているときだった。

菊地成孔 いろいろお忙しいでしょうけど、日本を堪能してほしいです。時間があれば僕がいろいろお連れしたいところもあって日本の食事だとか、宗教的な施設とか。

ディエゴ・スキッシ うわ、行きたいなあ。じゃあ来年お願いするよ。ハハハハハ!

菊地成孔 是非。そのときは是非共演しましょう。

ディエゴ・スキッシ そのときは是非共演しましょう。

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菊地成孔

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千葉県出身。サックス奏者、作曲家、文筆家。現在は自らのリーダーバンドとして「菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール」「DC/PRG」の2バンドを主催。

DIEGO SICHISSI

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ブエノスアイレス出身。ピアニスト、作編曲家。自身が率いるディエゴ・スキッシ・キンテートでの活動をメインに、新世代タンゴの最も先鋭的な作り手としての評価を確立している。

(月刊ラティーナ2018年3月号掲載)

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