[2019.03]【連載 TÚ SOLO TÚ #226】ニューヨーク・ラテンとフュージョン音楽
文●岡本郁生
1948年、アルゼンチンでバンドネオン奏者の子供として生まれたホルヘ・ダルトは5歳からピアノを習い、69年、米国に移住。ティト・プエンテやマチート、ガト・バルビエリらの楽団で活動するが、同時に、ジョージ・ベンソンのバンド・メンバーとして、76年、大ヒット・アルバム『ブリージン』に参加する。ベンソンはそれまでもヴァーヴやCTIレーベルなどからアルバムをリリースし、ジャズ・ギタリストとして一定の評価を得ていたが、この作品によってグラミー賞「最優秀インストゥルメンタル・パフォーマンス賞」を受賞。さらに、初めて歌った「マスカレード」が全米ポップ・チャートとR&Bチャート両方で上位にくいこみ、グラミーの「最優秀レコード賞」を獲得した。この作品によって新境地に足を踏み入れたベンソンは、その後、ポップ・スターへと華麗なる変身を遂げていくことになる。
George Benson 『Breezin'』(1976年)
ここで演奏していたダルトを、(特に日本の)リスナーたちはどのように見ていたのだろうか? 当時は間違いなく〝フュージョン・ピアニスト〟という位置づけだろう。この少しあと、ティト・プエンテ、カルロス〝パタート〟バルデスらと組んだラテン・パーカッション・ジャズ・アンサンブルでのハードコアなラテン・アルバムによって彼は初めてラテン・ピアニストと認識されたのではなかったか。
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