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[2022.1]【中原仁の「勝手にライナーノーツ」⑱】 Robertinho Silva, Alexandre Ito 『Nascimento das Canções』

文●中原 仁

   ───── 中原仁の「勝手にライナーノーツ」─────
 近年、日本盤の発売が減少し、日本における洋楽文化の特徴である解説(ライナーノーツ)を通じて、そのアルバムや楽曲や音楽家についての情報を得られる機会がめっきり減った。
 また、盤を発売しない、サブスクリプションのみのリリースが増えたことで、音楽と容易に接することが出来る反面、情報の飢えはさらに進んでいる。
 ならば、やってしまえ!ということで始める、タイトルどおりの連載。
リンクを通じて実際に音楽を聴き、楽しむ上での参考としていただきたい。

Robertinho Silva, Alexandre Ito『Nascimento das Canções』

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 2022年10月に80歳を迎える “ブラジルの声”、ミルトン・ナシメントが昨年の誕生日に、「A Última Sessão de Música」と題する2022年のコンサートツアーをもってライヴ・パフォーマンスから引退すると発表した。

 「最後の音楽会」という意味のタイトルは『Milagre dos Peixes』(1973年)に収録された、ミルトンが作曲したピアノ・ソロのインスト曲のタイトル。なお、この曲は、同アルバムのブラジル盤CD(アビーロード・スタジオでマスタリング)およびサブスクでは誤って別の曲が収録されてしまい、1曲前の「Hoje É Dia de El Rey」が「Última Sessão de Música」だ。

 いきなり話が逸れてしまったが、病に倒れた90年代後半以降、最大の魅力にして武器である “声の力” を失ってしまったミルトンが、同い年のジルベルト・ジルやカエターノ・ヴェローゾよりも早く重大な決意をしたことには、とても寂しくはあるが、それ以上に潔さを感じる。

 『Nascimento das Canções』は、60年代末から90年代前半までの多くの期間、ミルトンと共演してきたドラマーのホベルチーニョ・シルヴァと、2015年からミルトンのバンドに参加してきた日系ブラジル人のコントラバス奏者、アレシャンドリ・イトーのツイン・リーダーによるミルトンの作品集だ。

 ホベルチーニョはリオ生まれでミルトンの1歳上、2021年に80歳を迎えた。ミルトンの全盛期を支え…… いや、ホベルチーニョのドラミングなしにミルトンの全盛期はあり得なかったと言うのが正しい。

 アレシャンドリ・イトーはサンパウロ生まれ、リオ在住。年齢はおそらく30代だろう。交響楽団、オルケストラ・シンフォニカ・ブラジレイラの団員で、そこではアレシャンドリ・イトー・ソウザと表記されている。

 親子ほども年が離れ、ミルトンとの共演の時期も異なる2人がタッグを組み、カルロス・マルタ(フルート、サックスほか)、ジャキス・モレレンバウム(チェロ)、ヤマンドゥ・コスタ(ギター)など曲ごとに多彩なミュージシャンを迎えてミルトンの曲を演奏する。ホベルチーニョはドラムセットに座らず全曲、パーカッションを演奏。空間構成の創造力を発揮している。ミルトンも2曲に参加して歌うが、基本的にはインストゥルメンタル・アルバムだ。

 収録曲のうち、②③④⑨⑩⑪にはもともと歌詞がなく、ミルトンの “素の歌声” を満喫できる曲だった。このアルバムのタイトルも、Nascimentoは名前の一部でもあるが、普通名詞ととらえれば「歌(複数形)の誕生」という意味にもなる。

 ミルトンをよく知る新旧の2人が、愛と敬意と友情をこめてミルトンの音楽にオマージュした『Nascimento das Canções』。曲順に添って、出典も含め紹介していこう。

1. A Festa 

 『Miltons』(1989年)で「La Bamba」をカヴァーした際のメロディー・ラインにミルトンが歌詞もつけ、マリア・ヒタが「A Festa」のタイトルで録音したが、ここでの演奏や子供たちのコーラスをフィーチャーしていることは『Miltons』に近い。カルロス・マルタがフルートやサックスを演奏し、マルタはこれ以降も多くの曲に参加する。ギターのソロはヤマンドゥ・コスタ。ブラジル最南部の内陸生まれのヤマンドゥにとって、近隣国にも連なるフォルクローレはリオのサンバやショーロよりも自分に近しい音楽だったので、ミルトンの音楽の一角を成すフォルクローレの要素との相性も良い。

2. A Chamada

 意味は「呼び声」。美しく妖しい声で男たちを水中に誘い込んで帰らぬ人としてしまう、アマゾンの妖精ヤーラの歌声をミルトンが表現した、ヴォイス・マジックの極めつけと言える曲だ。1988年5月、ミルトンの初来日公演の初日、日比谷野外音楽堂で強い雨に打たれ、全身ずぶ濡れで聴いた体験が、今なお鮮烈な肌の記憶として残っている。初演は『Milagre dos Peixes』(1973年)。

 ここでミルトンが登場。この歌声には、近年のベスト・パフォーマンスと呼べる説得力がある。チェロはジャキス・モレレンバウム。2017年、ジャキスはゼリア・ドゥンカンとのデュオでミルトン作品集『Invento+』を発表した。さらに遡ればキャリア初期の70年代後半、ミルトンのツアーバンドのメンバーだったという。

3. From the Lonely Afternoons

 ウェイン・ショーターの『Native Dancer』(1975年)で録音した、歌詞のない曲。当時、ショーターから共演のオファーを受けたミルトンは「録音にあたり参加してほしいミュージシャンはいるか?」の問いに「ホベルチーニョ・シルヴァ」と即答した。アレシャンドリの弓弾きで始まり、リズムが入るとジャジーな展開になる。

4. Lilia

 これも歌詞のない曲で、初出は『Clube da Esquina』(1972年)。『Native Dancer』にも収録された。前曲に続きカルロス・マルタ(サックス)、ヴァネッサ・ホドリゲス(キーボード)による4人の演奏で、アレシャンドリを除く3人がMalta Silva Rodrigues名義のトリオで録音したアルバム『Erê』(2018年)もある。

5. A Lua Girou

 ブラジル北東部の伝承歌をミルトンがアダブト、『Geraes』(1976年)で録音した。ホベルチーニョとアレシャンドリが多重録音のデュオで、歌詞に描かれた月が巡る夜と男女の会話を表現する。

6. Olha

 ミルトンが2度目の登場。自ら作詞し『Anima』(1982年)で録音した。有名曲が目白押しのミルトン作品の中では知られざる曲になるが、自己中心的で我儘な人間を諭す歌詞が胸に迫る。声のコンディションも、近年では最も良い。

7. River Phoenix (Carta a um jovem ator)

 『Miltons』(1989年)で発表した当時は元気だったアメリカ人の俳優、リヴァー・フェニックス(1993年、23歳で死亡)に捧げた曲。カルロス・マルタのサックスを中心に展開する。

8. Rouxinol

 病からの復活第1作『Nascimento』(1997年)で発表した曲で、作詞もミルトン。歌のゼー・イバーハは、カエターノ・ヴェローゾの末息子トンらとのバンド、ドニカのメンバーで、彼らのファースト・アルバムにミルトンがゲスト出演し、ゼーはミルトンのツアー・バンドに参加した。

9. Francisco

 ここから、もともと歌詞がない3曲が続く。これはA&M盤『Milton』(76年)で発表した曲。カルロス・マルタ(フルート)のほか、ミルトンとは長い付き合いにあたるミナス出身のニヴァルド・オルネラス(サックス)も参加している。

10. Catavento

 ファースト・アルバム『Travessia』(1967年)で発表。これも歌詞のない曲だが「Chamada」などとは違い、ミルトンが自身の内面に潜むヴォイス・マジックを表出させるよりも前の時代の作品だ。ファゴットと、キコ・コンチネンチーノのキーボードをフィーチャー。

11. Vidro e Corte

 『Encontros e Despedidas』(1985年)でパット・メセニーをゲストに迎えて録音した曲。2度目の登場となるジャキス・モレレンバウムをフィーチャー。

12. Ponta de Areia

 『Native Dancer』(1975年)の冒頭を飾り、『Minas』(1976年)でも再録した名曲。ホベルチーニョの親指ピアノ(だと思う)から、フェルナンド・セッセーが叩くスティール・パンに引き継ぎ、最後はアレシャンドリのベースがミルトンのトレードマークでもある汽車を表現する。

(ラティーナ2022年1月)


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