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[2018.11]マリ・カルクン エストニアの伝統楽器と表情豊かな歌で 南エストニアの自然と伝統の素晴らしさを伝える

文●おおしまゆたか text by YUTAKA OSHIMA

 エストニアは古くて新しい。国としては1918年にできた、というので今年100周年。御祝に世界各地でイベントを展開している。今回の「エストニア音楽祭」もその一環。優れたデザイナーもたくさんいるそうで、テキスタイルとジュエリーのデザイナーが三人、いずれも女性がライヴに先立って紹介され、作品が会場で即売されていた。一方、土着楽器の代表カネレ(kannel)は二千年の歴史がある由。これはフィンランドのカンテレと同じツィター属だ。

 マリ・カルクンは二つのタイプのカネレを使う。小さい方はギターのように身体の前に肩から吊るす。ストロークもピッキングもできる。ハーモニクスも簡単に出せる。弦は上からも脇からも押えられる。大きい方は膝の上に置いて、カンテレのように爪弾く。音域も広く、響きも深い。

「始めたのは19歳の時からです。かなり遅いですね。はじめは独学。後で、タリンのアカデミーやシベリウス・アカデミーでは何人かの先生に習いました。そう難しい楽器ではないので、伝統音楽では広く使われています。子どもたちに伝統音楽を教えるためにとか。でも、プロのミュージシャンではほとんど使われてません。私は例外です」

 エストニアの伝統楽器は、まずバグパイプ。Trad.Attack!(トラッド・アタック!) でも目を引くあれは、昔は海豹の皮を使っていた。それにボウド・ライアー。最近はアコーディオンも増えている。カルクン自身も使う。

 家で毎日練習するんですか。

「小さい頃、ピアノを習っていたときはもちろんやりましたし、この楽器の習いはじめは練習しましたけど、今は毎日はしません」

 確かにカルクンはテクニックで大向こうを唸らせるタイプではない。

「技術的には完璧だけど、何も感じないミュージシャンにはなりたくないんです。それよりも音楽に魂をどう入れるかに創造性を発揮することをめざしてます」

 招聘元のハーモニーフィールズのウエブ・サイトの紹介に「私は完璧な音楽というものを信じません」と引用されていたのは、そういうことだったのだ。あるバンドのライヴに行って、あまりに良かったので会場で売られていたCDを買った。ところが、これがまったくのがっかり。

「すべての音はくっきりしてるし、リズムも正確ですけど、音楽の活きの良さがない。ライヴで感じたエネルギーがまるで無かったんです。それと、私の最初の録音はオムニバスに参加したものですが、携帯用の録音機で録りました。ファーストアルバムもほとんどそれに近い形です。録音はそれでもできるとわかったんです。お金をかけて、スタジオに入らなくてもいいわけです」

 もっとも経験を積んでスタジオの使い方もわかってきたらしい。

「最新作の録音は初めは曲の骨格があるだけで、大部分のアレンジや組立てはスタジオでやりました」

 カルクンにとって伝統音楽は霊感の源泉であり、よって立つ土台であるが、エストニアの伝統音楽は、たとえばお隣りのフィンランドのそれのように強力な引力を備えているものではないらしい。家庭も、アイルランドによくあるように、家族がみんなミュージシャンということはなかったそうだ。

「両親は特に音楽はやりませんでした。祖父母や叔母がいいうたい手で、お祝いなどの席ではみんなよく唄っていましたけど、本当に伝統音楽に目覚めたのは、2000年頃、15歳か、もうちょっと遅かったかな、ある兄妹バンドが教会でライヴするのに行ったんです。その時は、最初から最後までずっと泣いてました。ラジオで聴くポップスなんかとは全然違って、心の一番奥底に直接響いてきたんです」

 初めて買ったレコードはクランベリーズの『No Need To Argue』(1994年)とのことだから、それまでは音楽の趣味はごく普通、つまりアメリカ流のポピュラー音楽だったわけだ。

 そこから紆余曲折を経て、今や、エストニアを代表するアーティストの一人になるが、面白いのは、特にモデルとか目標にしたミュージシャンはいないと言う。

 「私は昔から誰かの後を追うことはしないんです。他の誰にもなりたくない、と言ったらいいでしょうか。エストニアの先輩ミュージシャンにはもちろん何人か尊敬して、影響も受けていると思う人もいますけど、お手本にした人はいません」

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撮影:Taiki "tiki" NISHINO

 最新作『ILMAMOTSAN(森の世界の中で)』は伝統の深さも感じさせるが、マリ・カルクンという一個の個性も鮮明だ。ここで目につくものの一つに、曲の構造にリピートがほとんど無いことがある。

「新作ではある程度意識してやってます。でも、それは伝統音楽からヒントを得ているんです。必ずしもヴァースとコーラスのような決まった形にはめこむ必要はないということですね」

 今回来日した三組に共通するのは、それぞれの個性が鮮明で、伝統を核としながらも、そこから比較的自由にふるまうところだ。Tuulikki Bartosik (トゥーリキ・バートシク) の使うアコーディオンは独自のベースが出る最新式だそうだ。バートシクも基本はソロだが、今回はかとうかなことのデュエットが素晴らしかった。

 一方で、この三組が土台としているのはエストニアの中でも南部の音楽だという。バートシクの出身は北部だが、今住んでいるのはカルクンの家から十キロも離れていない由。エストニアは九州よりひと周り大きな面積にさいたま市とほぼ同じ数の住民が住む。130万という人口はヨーロッパでは最少に近い。バルト三国でもラトヴィア200万、リトアニア325万。音楽の盛んな地域でいえば、バスクの半分弱、ブルターニュの三分の一。とすれば、文字通り、石を投げればミュージシャンに当るだろう。それでもやはり地域によって音楽伝統の濃淡はあり、南部はそれが濃いらしい。ここにはヴォロ語セト語など独自の言語もある。

「母の母語がエストニア語で、父の母語がヴォロ語でした。だから、バイリンガルと言っていいでしょうね」

 ヴォロ語は方言か独立の言語か、人によって見解が別れるが、ソ連からの独立後は、セト語などとともに独立の言語と見なされる傾向が強まっている。

「Trad.Attack! の音楽のベースはセト語圏のものです」

 この三組がエストニア音楽の代表とされたのは偶然かもしれないが、ひょっとすると南部の音楽伝統の力かもしれない。独自の言語の伝統と音楽伝統の濃さが重なるのは、アイルランドのドニゴールやコネマラ、わが国の沖縄を思い起こさせる。

「私の作る歌ではヴォロ語とエストニア語は半々です。どちらで作るかは、あまり意識しません。片方で作りはじめて、途中でかわることもあります」

 混ぜ合わせることはしないんですか。

「少なくとも私にとっては、リズムが違うので、あまりしたことはありません。『森の世界の中で』の冒頭の曲は、導入として自分の中の両方の要素を入れたかったので、両方の歌詞を入れてます」

 アイルランドの「マカロニック」のように一行ごとに交替するとか、いかがです。

「やったことはないけど、それは面白いかも。やってみようかな」

 ライヴはソロが多いんですか。

「基本的にはそうです。最近、パーカッショニストとのデュオも始めました」

 三作目『TII ILO (The Beauty of the Road)』のようなバンド形式のものは、やりませんか。

「バンドでやるのは、相乗効果や共振やコミュニケーションがとにかく楽しいけど、マネージメントがたいへんなので、大きなフェスティバルのような場合が多いです。ソロはその点、自由ですしね。他のミュージシャンでもソロが好きなんです」

 今回は時間の制約もあって、とりわけカルクンのステージはさあこれからという感覚が強かった。次回はぜひ、ゆっくりと彼女が一人で紡ぎだすライヴを体験したいものだ。

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Polka Dot Accordion|Tuulikki Bartosik(左)、かとうかなこ(右)(撮影:Taiki "tiki" NISHINO)

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TRAD.ATACK!(撮影:Taiki "tiki" NISHINO)

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マリ・カルクン『森の世界の中で』(2018年)(キーヒト・ミュージック KJT-010)

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マリ・カルクン『VIHMAKÕNÕ Dear Rain』(2010年)

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マリ・カルクン『ÜÜ TULÕK Arrival of the Night』(2007年)

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Mari Kalkun, Tuulikki Bartosik & Ramo Teder『UPA-UPA UBINAKÕNÕ』(2015年)

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マリ・カルクン&ルノルン『テイ・イロ TII ILO The Beauty of the Road』(2015年)

(月刊ラティーナ2018年11月号掲載)


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