[2019.10]ジャルダンの片隅で〜五十路エイリアン在仏記〜 第1回「まずは近況報告」

文●中島ノブユキ(音楽家) text by NOBUYUKI NAKAJIMA

 たかだかまだ二年である、ともいえる。小学校に入学した最初の二年、大学の最初の二年、二十代の終わりに実家に戻って過ごした二年、東京で再び暮らしはじめた二年……。そんな様々な最初の二年がある。丁度二年前の2017年9月21日の便で日本を離れたのだが、現在に繋がるこの二年は他のどの二年とも違うようにも感じるのだ。最も大きな違いはこのフランスに「エイリアンとして」住みはじめたと言うことであろう。ビザや滞在許可証の取得、落ち着いて安心して住める居住の確保、納税や医療システムへの理解、フランスに住む人々の習慣や出自の違いが多層化し時に混沌とした環境に自分をどうアダプトしてゆくのかということなど、特にフランスに着いてからの半年間はこれらの事柄に忙殺されるだけであったことは確かだ。それでもその時期の記憶が思い出したくない気が滅入るだけのものと言ったものではなく、むしろあんな事もこんな事も全て面白話として思い出せる。それはやはり家内とともにフランスに来たことが大きいと思う。何か気持ちの晴れないようなことがあったとしても大抵のことはお互いに笑い話に変えて後は忘れてしまえたのだから。その頃の様々なエピソードはまた次回以降に譲るとして、本誌花田編集長から「まずは近況を」とお題を頂いているので最近の活動をざっと書きたいと思います。

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「ピアフ・シンフォニック」世界初演カーテンコール(於ニースオペラ座)

 オーケストラ編曲及びピアノを担当した「ピアフ・シンフォニック」世界初演が今年6月、南仏はニース オペラ座において行われました。七十人編成のニース管弦楽団、シンガーとしてアンヌ・キャレール、アコーディオン奏者ギ・ジュリアーノ、芸術監督ジル・マルサラ、指揮はマエストロ ゲオルギー・ラス、という布陣で行われました。この企画は芸術監督のジルがずっと温めていたもので、エディット・ピアフの音楽世界をオーケストラの響きで表現できないかと長年考えていたのだそうです。彼から突然メールが来たのは2017年9月のこと。「マダム ジェーン・バーキンの公演のオーケストレーションが大好きです。長年頭の中に一つの企画があるのだけどそれを実現するにあたり編曲をお願いする事は出来ますか? パリのどこかで一度会う機会を持てますか?」そういった内容のメールだった。今メールを読み返してみると、その返信で僕はやれ「今は日本にいる」だの、やれ「パスポートタランというビザが取得できたのでフランスに引っ越しする」だのジルにとっては大して関係の無い事をなんだか嬉しそうに書いていて恥ずかしい。今の僕ならばこんな事は書かずに「今度パリかどこかで会いましょう。ニースに僕が赴くのも構わないですよ」とシンプルに書くであろう。何故ならフランスに来て実感したのだけど、仕事をするにあたってその相手が何処に住んでいるのかと言う事は大して問題では無いからだ。例えばジェーン(・バーキン)の公演の音響を長年務めているステファンはスイス国境の町ブザンソン在住だけど公演ごとに電車を乗り継いで元気よく到着するし、何度も共演している指揮のフィリップはリヨン近郊、同じく指揮のジェフリーにいたってはボルドー地方の山奥在住だ(彼と家族は大自然の中、羊と共に暮らしている)。とにかくみんな身軽に移動している。ロンドンやニューヨークで一緒に仕事していたかと思うと、次の週にはフランスの山深いところにある小さな町のオーケストラとの仕事に小さなカバンを一つ提げて現れる。この距離感を日本にいたときには実感出来なかった。この「距離感」というキーワードは地理的な意味を離れて人間の繋がりにも関係する大切な言葉としてこのフランス滞在の様々な場面で考え直す言葉となる。そういえばジルとの最初の会合には一つ伏線があって、モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスター、ヴァイオリニストのリザ・ケロブさんが大いに関係している。彼女とはずっと以前にジェーンがモナコで公演したときに初めて出会った。繊細でありながら必要とあらば情熱的なプレイでオーケストラを牽引する、そんな彼女の演奏が大好きだった。彼女がとても僕のオーケストレーションを気に入ってくれていて、リザとジルは旧知の仲ということもあって彼が編曲家を探しているときに僕の名前を彼に伝えてくれていたようだ。

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