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【連載シコ・ブアルキの作品との出会い㉚】恵みを生む大地の力を讃える ー O cio da terra

文と訳詞●中村 安志 texto e tradução por Yasushi Nakamura

中村安志氏の好評連載「シコ・ブアルキの作品との出会い」と「アントニオ・カルロス・ジョビンの作品との出会い」とは、基本的に毎週交互に掲載しています。今回は、偉大なシコ・ブアルキとミルトン・ナシメントが、ブラジルの労働運動が開始された頃に生みだした名作「O cio da terra
(大地の初潮)」です。
外交官として長くブラジルに滞在した中村氏だから書けるエピソードです。お楽しみ下さい。

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 この連載の第1回目でご紹介した名作Cáliceでは、「主よ、この杯を我から遠ざけよ」という、聖書の中の有名な言葉を歌詞に織り込み、ワイングラスを指すようでもあり、「黙れ」と、命令されているようでもある、同音異義語を駆使した歌を、共演者ミルトン・ナシメントの美声が盛り立てていたことをご紹介しました。ミルトンとシコによる素晴らしい共演は、このほかにいくつもあり、もう1つお送りすることにしましょう。

  1977年、二人は、メーデーを盛り立てる目的で、Primeiro de maio(5月1日)という曲を共作し、シングル版のB面に録音します。この年は、サンパウロ郊外に広がる、いわゆるABCDとも呼ばれる工業地帯において過酷な作業に従事する工場労働者の間で、権利を守るための組合を組織化する運動が開始された時期でもあり、その労働運動を率いていたリーダーのルーラ氏は、後に(2003年~11年)2期8年間にわたり大統領を務めるに至ったことでも知られます。恵まれない人々の生き様に温かい眼差しを向けてきたシコは、おそらく、こうした社会の動きにも気を向けていたのではないかと思われます。

↑「シングル Primeiro de maioのジャケット」

 そして、このシングルのA面に収録された曲が、大地が恵む農作物とそれを育てる人々の地道な労働をテーマとした、O cio da terra(大地の初潮)でした。

 作曲を担当したミルトンは、リオの内陸側に接する広大なミナスジェライス州のリオ・ドーセの谷で綿花を収穫する女性たちの歌声からヒントを得て、この曲を作ったといい、これにシコが、作物を得ることなどを内容とする歌詞をつけています。

 また、この曲については、シコ、ミルトンとも、後に単独での録音も行っており、更にマリア・ベターニアなど他の歌手が歌い、打楽器を集めた個性的インストルメンタルで編成されるグループ「ウアクチ」なども好んで演奏しました。隣国アルゼンチンで、民衆に寄り添い、社会的活動に力を入れていた、原住民の血を継ぐ国民的女性歌手メルセデス・ソーサも、この歌を積極的にとりあげています。

「メルセデス・ソーサの歌うCio da terra」

 歌詞を少し、読み解いてみましょう。曲名に含まれるCioという単語は、もともとは「初潮」を指す言葉で、ここでは、大地が生ける主体として成長し、何かを産み出すことのできる状態にまで成熟しているという意味で用いられ、同時に、大地の側が「欲しているもの」を表しています。その大地の欲するものを、人間の側が「知る」(conhecer)ということは、大自然から人間が恵みを得る営みを忠実に行うことを指しており、人間と自然との調和のとれた共存関係を示唆していると言えるでしょう。

 歌詞を更に追っていくと、小麦から奇跡のパンが生み出される、サトウキビから蜜が作られる、土が耕され広い耕地となるなど、率直に自然から得る成果物を列挙する内容になっています。しかし、そうした恵みを得る行為を示す動詞はそれぞれ、debrulhar(麦から切り落とす)、decepar(バサッと切り取る)、と言うばかりでなく、単にサトウキビから蜜の甘さを「獲る」と言わず「盗む」(roubar)と述べるなど、やや強い響きの言葉が多用されており、自然の恵みを人間が力づくで奪っていくことに無反省でいてはならないと、警告されているようにも見えます。シコが別な機会に語ったところによると、この歌は「大きな負担を伴う農作業への讃歌」として作られたとされており、頷けるものがあります。

 小麦を、「パンの奇跡」に変えるという部分(Forjar no trigo o milagre do pão)は、実際に小麦粉が発酵し、パンが柔らかくなるプロセスを示しており、人間の手による仕込みの重みを表現する、最も身近な例と言えるでしょう。自然への感謝という観点で、宗教的な要素も組み込まれており、イエス・キリストが5千人以上の群衆に同時に食べ物を与える奇跡を行ったとされる食材もパンであったことなど、聖書の伝えを絡めた歌になっていると見受けられます。

 ↑歌の中のフレーズ『小麦でパンの奇跡を作りだす』ことについて、
キリスト教の観点から語る宗教者のサイト」

 奇跡のパンを産む豊かな大地が、何をどの程度欲しているか。人間の側がそれをよく知ることが大事なポイントであって、人間が耕し肥料と水を与え、必要な分をちょうど良いだけ収穫することで、果実や草花などが毎年実り続ける、過剰に資源を奪い枯渇などはさせない、といった自然や資源の持続的利用という考えも、ここに含まれているような気がします。

 なお、ミルトンの作曲は、シンプルでありながらも、当時のブラジルでよく歌われる音楽とは少し異なるスタイルのようで、シコは、後年のインタビューで、この曲のコードワークが他のラテンアメリカの音楽に似ているのではないかとたずねられ、ミルトンが南米の隣国チリの音楽家と交流を深めており、その響きからとり入れている可能性があると語っています。ミルトン自身のコメントは得られていません。

 1977年の歌ではありますが、今日もよく知られており、ブラジルの内陸ゴイアス州にあるリオ・ヴェルデ市で、農作物の窃盗を防止するため警察と共同で行なっている対策をCio da terra作戦と称するなど、名曲のタイトルを拝借した表現が随所に見られるのも、この曲が愛され続けていることの表れでしょう。

↑Cio da terra作戦について、地元当局が紹介しているページ

著者プロフィール●音楽大好き。自らもスペインの名工ベルナベ作10弦ギターを奏でる外交官。通算7年半駐在したブラジルで1992年国連地球サミット、2016年リオ五輪などに従事。その他ベルギーに2年余、一昨年まで米国ボストンに3年半駐在。Bで始まる場所ばかりなのは、ただの偶然とのこと。ちなみに、中村氏は、あのブラジル音楽、ジャズフルート奏者、城戸夕果さんの夫君でもあります。

(ラティーナ2022年7月)

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