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[2017.06]【連載 TÚ SOLO TÚ #206】2017年ならではの作品が次々とリリース! オスカル・エルナンデス、イシドロ・インファンテ

文●岡本郁生

 ニューヨーク~プエルトリコのラテン音楽シーンを長年に渡って牽引してきたピアニスト/プロデューサーのふたり…… オスカル・エルナンデスとイシドロ・インファンテが相次いでニュー・アルバムを発表した。一方はラテン・ジャズ、もうひとつはサルサと、音楽的には異なっているが、ある意味で、両方ともまさにいま、2017年ならではという内容の作品となっている。

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 まずはオスカル・エルナンデス。最近ではスパニッシュ・ハーレム・オーケストラのリーダーとして知られるが、1970年代から、グルーポ・フォルクロリコやコンフント・リブレなど、さまざまな一流楽団で活躍を続けて来たベテランである。彼自身は54年、ニューヨークのサウス・ブロンクス生まれだが、家族は、40年代にプエルトリコからニューヨークへ移ってきたという。プエルトリコ人たちは最初、マンハッタンの東116丁目付近、いわゆるイースト・ハーレム(エル・バリオ)に定住したが、第二次世界大戦後に人口が急増すると、ロワー・イースト・サイドやブロンクス、ブルックリンへと居住地域が拡大した。もともとユダヤ人やイタリア系、アイルランド系が多く住んでいたブロンクスだが、彼ら白人層が郊外へと移ったあと、アフリカ系やラテン系(主にプエルトリコ人)が大量に流入したのである。

 その貧しい地域で11人兄弟の末っ子として育ったエルナンデスは、幼いころからティト・プエンテやティト・ロドリゲスなどの音楽に夢中になり、12歳でトランペットを手にした。だがその2年後、知り合いからピアノを譲り受けて独学で弾き始め、地元のバンドで修業するうちに72年、ジョーイ・パストラーナの楽団に加入。アルバム『ドン・パストラーナ』でレコーディング・デビューを果たす。その後、イスマエル・ミランダ楽団を経てレイ・バレット楽団に参加。6年間在籍し『リカン・ストラクション』はじめ重要な作品に関わっている。このバレット楽団時代にさまざまなジャズを学び、アレンジを手がけるようになる一方、ニューヨーク市立大学で音楽を専攻。ティト・プエンテ、セリア・クルス、コンフント・リブレ、グルーポ・フォルクロリコ、ルベン・ブラデスのセイス・デル・ソラールといったサルサのアーティストだけでなく、フリオ・イグレシアスやアール・クルー、デイヴ・バレンティンなど多くのアーティストと仕事をするようになった。98年には、ポール・サイモンが企画し、ルベンやマーク・アンソニーが出演したブロードウェイ・ミュージカル「ザ・ケイプマン」の音楽を担当。さらに、「キエン・マト・ア・エクトル・ラボー」「ラ・ルーペ」といった舞台や、テレビ番組の音楽監督もつとめるなど、多方面での活躍を続けている。

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