[2017.07]【短期連載】 The Latin Music is a Tramp! #2 アンドレア・ブラックフェルド
文●山本幸洋
6月18~21日にコットンクラブ東京で企画されたデイヴ・ヴァレンティン追悼ライヴは、盟友ビル・オコーネル(ピアノ)、リンカーン・ゴーインズ(ベース)、ロビー・アミーン(ドラムズ)というデイヴがもっとも注目されていたGRP期のメンバーとアンドレア・ブラックフェルドという組み合わせだった。アンドレアの近作にビルが参加しているから意外というわけではないけれど、ちょっとした驚きと嬉しさがあった。(6月19日、都内にて。協力:コットンクラブ東京、坂本 悠)
写真提供/COTTON CLUB 撮影/ 山路ゆか
—— (チャランガ76のファースト・アルバムを見せながら)このジャケットは印象的です。マッチョな男世界のサルサのジャケットのセンターで女性が(歌手ならともかく)フルートを吹いているんですから。
アンドレア うふふ。そうね、自分ではフルートを吹いているだけで特別なこととは思っていなかったけど、注目されたのは事実だし、みんなも対応してくれたわよ。
確かに女性はいなかったわね。でもそれが良かったのよ。先頭を切っているというより、私自身は音楽が最優先だったから。当時チャランガは人気がなかったけど、チャランガ76が人気に火をつけたのよ。ヒット「ソイ」は世界中で聴いてもらえたし。
2017年6月19日、コットンクラブにて
—— ラテンNY(当時、売れていた音楽を中心とした情報誌)では……
アンドレア そう、ファハルドがいて、私たちがいた。SoyはI amって意味だけど、瞑想するってことなのね、最近気がついたわ。ホントに面白い時代だったわ、集中していたし、私たちが演奏すると熱狂に包まれるの。当時はすごく忙しくて、1年間は週に9本の仕事を抱えていたのよ。ラテンを演奏することで稼げて食べていけた。
TR119x(写真はバックカバー)Charanga 76 / Charanga76
70年代後半から80年代初頭の日本、本誌やミュージック・マガジンなどで、ニューヨークのラテン・シーンがサルサと呼ばれていること、ライヴの情報やたくさんのミュージシャンやアルバムの紹介記事があった。後年になって私はそれらを読んで参考にしたのだけれど、もっとも印象に残ったひとつがチャランガ76だった。
—— 1950年代のニューヨーク生まれ。
アンドレア はい、ユーティカ市(Utica)です。
—— 6歳でピアノを始めたそうですが、ご家族に音楽家は?
アンドレア いとこがピアノを弾いているけど両親は違うわね。
—— ジューイッシュでしたよね。ラテン音楽との出会いは?
アンドレア 私、ジャズを演奏していたのよ。で、誰かに、私に合う音楽としてラテンを勧められて、そのフルート奏者としてマウリシオ・スミスを教えてもらって、クラブに観に行ったの。そこでマウリシオに、やってみる? って誘われたので、イエスって答えたの。ラテンを演奏したことはなかったわよ。それから繰り返し練習したけど(笑)
Tico SLP1089 Fluta Nova / Mauricio Smith
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