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[2017.03]【連載 TÚ SOLO TÚ #203】サルサ新時代の開拓を自ら押しすすめる大ベテラン! ボビー・クルスの新企画サルサ・ファクトリー・バンチ

文●岡本郁生

「新時代のサルサを作るのが目的だ。新しいスターがいないから、サルサは世界中で下火になっている。人々はいまだに70年代の音楽を聞いているが、ファニアのスターたちは次々に亡くなっているしね……」

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サルサ・ファクトリー・バンチを立ち上げたボビー・クルス

 と語るのは、プエルトリコ出身、長年リッチー・レイと組んで活躍してきた歌手のボビー・クルスである。確かに、ファニア・オール・スターズのザ・チーターでのライヴ(1971年)に出演していた人たちの中で、いまだにピンピンして活発に活動しているのは、ラリー・ハーロウ(ピアノ)、ボビー・バレンティン(ベース)イスマエル・ミランダ(歌)ぐらいか。親玉のジョニー・パチェーコは体調不良だし、ウィリー・コロン(トロンボーン)は元気のようだが音楽界からはほぼ引退状態、ロベルト・ロエナ(ボンゴ)、オレステス・ビラトー(ティンバレス)、アダルベルト・サンティアゴ(歌)もまぁ、チョボチョボという感じだろう。

 そんな中でちょうど1年ほど前、ボビー・クルスが、新しいプロジェクト、サルサ・ファクトリー・バンチを立ち上げたのだから驚いた。大ベテランの彼を中心に、中堅のアレックス・デカストロ、チャーリー・クルス、さらに、若手の歌手5人を加えたプロジェクトである。ともに音楽監督をつとめているのは、チリ出身でフロリダ在住、まだ20代半ばという才能あふれるピアニスト/アレンジャーのクリスティアン・クエバスで、中で1曲、自ら歌も披露している。

 冒頭のコメントは、クルスがCMIマガジンのインタビューに答えたものだが、彼自身、サルサについて相当な危機感を持っていることが伝わって来るだろう。とはいえ、“サルサ”という言葉が、現在では、その意味するところや使われ方が非常に多岐に渡り、大きく拡大していることも事実である。

 まず、キューバ人たちが、キューバ音楽のことをサルサと呼ぶようになり、さらに、コロンビア、ペルー、ベネズエラ、そして世界各地で、その土地のサルサが確実に根を張って成長している。いまや(というよりかなり前から)サルサの中心地はコロンビアだという人もいて、それはある意味では正しいと思うが、クルスにはクルスなりの解釈があるのだろう。彼にとって、やはりプエルトリコ~ニューヨークがサルサの首都であり、これがサルサだ! という定義があるはずだ。ではそれはいったいどんな音楽なのか? それを理解するには、彼がこれまでに生み出してきた音楽を聞いてみる必要がある。

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ボビー・クルス(左)とリッチー・レイ(右)

 ボビー・クルスは1938年2月1日生まれというから、ちょうど79歳になったばかり。プエルトリコのオルミゲロスという貧しい村の出身で、父はサトウキビ農場で働いていたという。幼いころに家族と一緒にニューヨークへ移住。歌が好きで、自らが率いる楽団で歌っているときに、のちにコンビを組むリッチー・レイと出会うことになる。

 一方のレイは1945年2月15日ニューヨークのブルックリン生まれだから72歳になったばかり。ふたりの最初の出逢いは57年、レイがクルスの楽団にベーシストとして加入したときである。7歳からピアノを始めていたレイはその後、ジュリアード音楽院へ進むが63年に退学し自己の楽団を結成。翌年、ここにクルスがリード・ヴォーカルとして参加し、65年、アルバム『アライヴズ/コメヘン』でフォンセカからデビューを果たすのである。

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