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[2018.11]【連載】タンゴのうた 詩から見るタンゴの世界 第10回 メーキャップ(マキジャーヘ)

文●西村秀人 text by HIDETO NISHIMURA

アルゼンチン・タンゴの世界で兄弟両方が演奏家、という例はかなり多い。しかし作詞・作曲ということになると、父子の例はあるが(ホセ・ゴンサレス&カトゥロ・カスティージョ、パスクアル&ホセ・マリア・コントゥルシなど)、兄弟で創作活動をしてきた例は決して多くない。

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 作詞はオメロ(1918〜1987)、作曲はビルヒリオ(1924〜1997)のエスポシト兄弟である。

Virigilio Exposito:ビルヒリオ・エスポシトによる1991年と1993年録音のカップリングCD。

ビルヒリオ・エスポシトによる1991年と1993年録音のカップリングCD。

Homero & Virgilio Exposito F1:1980年代のエスポシト兄弟

1980年代のエスポシト兄弟

 エスポシト兄弟の父、マヌエル・フアン・エスポシトは実の父母を知らず、幼い頃からブエノスアイレスの孤児院で過ごし、とある家族に引き取られたものの、逃げ出してサラテに移り、一人で生きていくことを選んだという人物。その時「孤児」を意味する「エスポシト」を自分の名字として選んだ。さまざまな職業を転々とした後、結婚して最初の息子オメロが生まれるころには、プロのケーキ職人として働きながら、四か国語を理解し、詩を書き、無政府主義の演劇団を率いていたという。そうした反骨精神に長け、文学を好む指向は息子たちにしっかり引き継がれていく。長男オメロが15歳になった時、父は「おまえはもう大人だ。ブエノスアイレスに行って、好きなことをやっておいで。」と言い、現金200ペソ(当時の父の月給1か月分)を渡した。楽譜店にたどり着いたオメロは「タンゴはもうわかったから、それ以外の音楽が知りたい」と伝えると店員はジャズの輸入楽譜を置いている別の店を紹介してくれた。そしてオメロはガーシュウィンからデューク・エリントンに至るまで、山のような譜面を買って戻ってきて、6歳年下の弟のビルヒリオと共に昼夜勉強したという。タンゴに限らない2人の音楽性のルーツはこんなところにあるのだ。

 1938年、オメロ20歳、ビルヒリオ14歳の時、最初のタンゴ「ロンダンド」(めぐりながら)を発表、この曲はスター歌手リベルタ・ラマルケによってラジオで初演されるが、残念ながら録音にはいたらなかった。同じく1938年に作られたとされるのが今日のテーマ「メーキャップ」(マキジャーヘ)である。詞もメロディもとても1938年のものとは思えないモダンさがある。特に冒頭のベースが刻むリズムパターンは、ドミンゴ・フェデリコ曲=オメロ・エスポシト詞の「ペルカル」(1943年)に比する新しさがあるが、「メーキャップ」の方が5年も早いのだ。14歳のビルヒリオが作ったメロディとは本当に驚く。しかし当時演奏・録音されることはなかった。おそらく初録音は20年後、ホルヘ・ビダルが歌った1958年4月のオデオン盤だろう。この録音の伴奏者はエスポシト兄弟と同郷で、青春時代を共にサラテで過ごしたエクトル・スタンポーニ。その後1963年にアストル・ピアソラ・キンテートがエクトル・デ・ロサスの歌で録音、さらにロベルト・ゴジェネチェ(1973年)、アドリアーナ・バレーラ(1991年)などの名唱が続く。

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