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[2022.6]【連載 シコ・ブアルキの作品との出会い㉖】価値が減じたお札を皮肉った歌- 《Tamandaré》

文と訳詞●中村 安志 texto e tradução por Yasushi Nakamura

中村安志氏の好評連載「アントニオ・カルロス・ジョビンの作品との出会い」と「シコ・ブアルキの作品との出会い」は、基本的に毎週交互に掲載しています。今回は、シコの別な意味で禁止になった名曲です。外交官として長くブラジルに滞在した中村氏だから書けるエピソードです。お楽しみ下さい。

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 軍政による言論抑圧に対抗するシンガー・ソングライターというイメージの一方で、シコ・ブアルキが初めて発禁を命じられた作品が批判の対象としたのは、政治ではなく、巷の経済問題でした。これは、シコの芸歴をかなり知るファンにとっても、意外なことかもしれません。

 中南米に馴染みある方々の間では、様々な時期あちこちで人々の苦労の種となったハイパー・インフレーション(高度の物価上昇)の悩みを見聞きされた読者も多いのではないでしょうか。現在と同じ尺度で比較できないとは思いますが、シコが音楽界にデビューして間もない1965年当時のブラジルでは、1年間のうちに物価が約90%上昇したそうで、これは、角度を変えて見れば、手持ちの現金が発揮できる価値が、1年を経過するうちに半分に減るのとほぼ等しい現象です。

 そんな世相の中、シコは、庶民に馴染み深い1クルゼイロ紙幣の肖像画となっている歴史上の偉人タマンダレー提督(注)に向かって、街のどこかでぶらぶらしている平凡な男が語りかける形式で、お札の価値が減少したことを皮肉る歌を作ったところ、これが「国の英雄に対する敬意を損なうもの」と見做され、コンサートでの上演を禁止されてしまったのです。

(注)タマンダレー提督は、本名をジョアキン・マルケス・リズボアといい、1807年生まれ、貴族出身の海軍軍人。1821年から3年間続いたブラジル独立戦争で、逃げる宗主国の軍艦を追尾し、ポルトガル本国首都リスボンに流れ出るテージョ河の河口近くまで追いかけたなどの武勇伝があり、国家的英雄とされてきた人物。1897年に逝去。兄が戦死し埋葬された場所の名前から、タマンダレーという貴族の称号が付与された。後年も戦果をあげており、ブラジル海軍の守護神的存在とされている。

 ↑タマンダレーを守護神と定めた経緯を解説しているブラジル海軍のサイト

 当時は「タマンダレー」と言うだけで、誰もが1クルゼイロのお札を指す通称として理解したとのこと。現在の日本でいえば、福沢諭吉と聞いて1万円札を思い浮かべるのと似た話でしょうか。

 この歌は、1966年8月、リオのアルペジオというライブハウスで行われたシコのコンサートでの演目の1つとして、女性歌手オデッチ・ララと男性4人組コーラスのMPBクアトロの共演を得て発表されますが、レコーディングに至る前の段階で、早々と禁止されてしまいました。あまり世に知られぬまま四半世紀を経て、1991年、ベテラン女性4人ボーカルの Quanrteto em cy が、シコの作品だけを詰め込んだアルバム『Chico em cy』の中でとりあげ、後年のファンの間で知られるところとなりました。この録音では、歌詞の途中「潮の流れはよくない」と歌うあたりで、船の加速を反映するかのように、歌声にスピードが加わるなどの演出が施されています。シコ自身のコメントによると、この歌で政府を批判する意図はまったくなく、お札の価値が下がったことを半ばからかった程度のつもりだったそうです。


 一方で、ひと昔以上前に流通していたお札の肖像画が、歴史上功績の高いこの軍人で、お札の通称もタマンダレーだったということは、曲が再びお披露目された段階では、記憶している者も多くなかったようです。それもそのはず。この歌が禁止されてから20年少々経過した80年代後半のブラジルは、65年当時の「1年間で物価が2倍に」といった程度では済まず、「毎月ごとに物価がほぼ倍増する」という格段に高いインフレの連続でした。過去の出来事など吹き飛んでしまう勢いで、あれよあれよという間に、下3桁のゼロを削るデノミネーション(通貨単位を切り下げること)が2回も行われ、更には通貨名まで改名されるという激動ぶり。そのまま放置された場合、1千円で買えていた品物が、1年も経たないうちに10万円(ゼロが3つ増える)となり、更にそれが1億円と表示されてしまうに至って混乱するため、単位を切り下げざるを得なくなる訳です。こうした中で、お札のデザインも変更されてゆき、人々の記憶から、古いお札の肖像が誰だったかという記憶も、どこかに失せてしまったとしても不思議ではありません。

タマンダレーの肖像画を使った、当時の1クルゼイロ札

 私が現地で生活し始めた1987年の頃も、クビチェッキ大統領の肖像画が刷られた100クルザード札1枚でLPレコードが2枚買えたのが、あっという間に、タバコ1箱すら買えなくなったのを記憶しています。このような状況では、人々も持ち金を現金のまま何日も抱えていると、買える品物の量がどんどん減っていくので、街のスーパーでは、給料日に得た現金を抱え生鮮食品以外を買いだめしようと押し寄せた客で長蛇の列、といった光景が目撃されるようになります。

 また、このくらいになると、銀行口座に入っている預金がインフレ率に負け目減りするようでは銀行も商売になりません。預金を日割りの投融資に回し、それで得た配当でインフレ分をカバーする仕組みが作られ、あまり高所得でない人も個人用小切手を所持し、手元に現金を引き出さないままで、毎日の買い物に使う光景が当たり前の世相でした。こんな早くにキャッシュレス決済を実現していたとも言えない訳ではありませんが、小切手が怪しいものではないのかを店員が逐一チェックするため、レジ精算にかかる時間が長く、スーパーでの買い物といえば、結構な忍耐を要する世界でした。

 政府が物価の強制凍結命令(違反したら罰金などで取締り)を出したり、人々の銀行口座から当面1か月間に下ろせる現金の額をかなり少ない範囲に制限するなど、人工的な物価抑制策が取られたこともあります。しかし、見合わない金額で売るくらいなら、商品を店に卸しても意味がないということで、スーパーの棚から商品がことごとく姿を消すなど、次々と展開する出来事を目の前に、経済をまともに勉強してこなかった自分も関心を高めるざるを得ませんでした。

目まぐるしく変更された紙幣の姿

 「歌は世につれ」とよく言われますが、シコのような頭のいい作者の手にかかると、社会の様々な動きを、歌を通じて思い浮かべることができる。彼の名作には、そんな面も感じられます。

著者プロフィール●音楽大好き。自らもスペインの名工ベルナベ作10弦ギターを奏でる外交官。通算7年半駐在したブラジルで1992年国連地球サミット、2016年リオ五輪などに従事。その他ベルギーに2年余、一昨年まで米国ボストンに3年半駐在。Bで始まる場所ばかりなのは、ただの偶然とのこと。ちなみに、中村氏は、あのブラジル音楽、ジャズフルート奏者、城戸夕果さんの夫君でもありますよ。

(ラティーナ2022年6月)


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