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[2017.03]【連載 ラ米乱反射 #131】ラ米最後の内戦終結を目指し本格交渉開始 キトでコロンビア政府とゲリラ「民族解放軍」

文●伊高浩昭(ジャーナリスト)

 コロンビア最後の内戦に終止符を打つ交渉が2017年2月7日、エクアドール(赤道国)の首都キト郊外で始まった。サントス・コロンビア政権とゲリラ組織「民族解放軍」(ELN)は「完全な和平」達成で合意している。最大のゲリラ組織「コロンビア革命軍」(FARC)は16年11月、政府と最終合意に達し、17年2月、要員6300人は国内26ヶ所の集結地に集合、社会復帰に備えて市民登録、医療保険制度加入などの手続き中で、これが済めば武装解除されることになる。半世紀余り続いた内戦は「4分の3」は終結したが、「4分の1」は残っている。兵力2000人のELNが武闘を続けているからだ。ELNと政府との和平が成れば内戦は全て終わり「完全な和平」が実現することになる。それはまた、南米最後、ラ米最後、米州最後の内戦の終焉を意味する。

▼「革命の神学」

 コロンビア政府とELNはコレア赤道国大統領の肝煎りで2014年初め、キトで秘密裡に予備交渉に入った。フアン=マヌエル・サントス大統領は、12年からハバナで続けていたFARCとの和平交渉が進展するのに並行してELNとも秘密交渉を手掛けたわけで、両ゲリラ組織との「同時和平」達成さえ志していた。FARCとは15年9月、最終和平合意に向け大枠で合意、1年後カルタヘーナで最終合意調印を実現。その承認の是非を問う10月初めの国民投票では僅差で敗れたが、11月国会で承認を勝ち取り、ついに和平実施開始に漕ぎ着けた。

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コロンビアのフアン=マヌエル・サントス大統領

 ニコラース・ロドリゲス=バウティスタ最高司令(67)率いるELNは、FARCが和平交渉に応じた以上、自分たちも応じざるを得ないと判断、キトでの予備交渉に入った。だが、大学知識人たちが創設したELNは武装農民が主体だったFARCと比べ、革命原則に固執する「原理主義」的傾向が強く、予備交渉は難航、今回の本交渉開始まで丸3年もかかった。ここでELNの「生い立ち」を見てみよう。

 この国北東部のサンタンデル州都ブカラマンガにはサンタンデル工科大学(UIS)がある。この大学の一群の教授・学生たちは、1959年元日のキューバ革命の指導者たち、特にエルネスト・チェ・ゲバラに心酔していた。彼らは63年「ホセ=アントニオ・ガラン部隊」というゲリラ組織を結成、翌64年、9ヶ月に亘ってキューバのエスカンブライ山脈でゲリラ戦の訓練を受け、ハバナでELNを結成した。初代最高司令は、「解放の神学」派のスペイン人司祭ファビオ・バスケス=カスターニョだった。「解放の神学」では埒が明かないと「革命の神学」に走ったのだ。

 当初の戦略はコロンビア北部・北東部の山脈や山地をキューバ革命の「マエストラ山脈」に見立て、これを出撃拠点としてゲリラ戦を展開、武力革命を起こすことだった。キューバは61年4月に「社会主義革命」を宣言しており、ELNも「社会主義コロンビア」樹立を目指していた。帰国したELNは65年1月7日、サンタンデル州シマコタで武闘を開始、兵士2人、警官3人、文民1人を殺害し、「シマコタ声明」を発表。「自由・保守両党による寡頭支配体制打倒によるコロンビア解放のため戦いを始めた」と宣言、農民、労働者、学生、専門職、〈清廉な市民〉に団結を呼び掛けた。主な戦術は、軍・警察要員および施設への攻撃、外国石油会社の送油管、製油所の破壊だった。

 初期のELNには重要な逸話がある。富裕層出身のカトリック司祭カミーロ・トーレス(1929~66)は「解放の神学」を実践したが65年、還俗しELNに加わった。社会活動や政治活動をしながら、ELNのバスケス最高司令と密かに連絡を取っていたのだ。だが翌66年2月15日、サンタンデル州サンビセンテ・デ・チュクリー市パティオセメントに近い山中で陸軍巡視隊への待ち伏せ攻撃に参加していたところ、兵士に射殺された。選良層出身で司祭経験もあるカミーロのゲリラとしての戦死は、保守的なコロンビア支配層に強い衝撃を与えた。69年にはスペイン人のマヌエル・ペレス、ドミンゴ・ラインの両司祭が隊列に加わった。

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