[2020.05]タンゴダンス永遠のミューズ、グローリア逝く!
文●本田健治 text by KENJI HONDA
新型コロナに弊誌休刊最終号…この辛い、寂しい時期に、アルゼンチンの友人でジャーナリストの Silvia Rojas から、もう一つ大きな悲報が届いた。
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アルゼンチン・タンゴ・ダンス界最大の功労カップル、グローリア&エ ドゥアルドのグローリア(Gloria Julia Barrudo) が、4月11日午後73才の生涯を閉じた。昨年、彼女の最後の誕生日に難しい心臓手術から回復し、ペドロ・エチャグエ・クラブでのGENTE MILONGAで、久しぶりにダンスを披露していた。タンゴ関係者のみならずすべての人から愛され、プロダンサーとして最高だったのはもちろん、友人として、母親として、完璧な評価ばかりが目についた素晴らしい女性だった。肺水腫が原因での衰弱で、遺体は彼女の希望により火葬された。2016年10月にブエノスアイレス市名誉市民の称号を贈ら れている。
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64年、「タンゴ王」カナロの来日メンバーに選 ばれてデビュー。グローリアはまだ14才。就労ビザを取得できないため、母親が名義上のダンサーとなり、グローリアはその娘として入国した。カナロは彼らのダンスを一目見て惚れ込み、日本に連れ行く事を決めたという。その後帰国してからも、一躍人気者になったこのカップルは毎週TV番組でタンゴの楽しさを伝え続けるよ うになった。
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70年代の中半、ブエノスアイレスのコロン劇場のすぐそばに、観光客目当てではないタンゲリアがあった。「カーニョ・カトルセ」だ。これをユダヤ系の友人と共同経営し、ブエノスアイレスのアンテナの立ったマスコミ人や多くの熱心なファンに向けて、素晴らしいショーを毎晩続けていたのがグローリア&エドゥアルド。セステート・タンゴも、ビルヒニア・ルーケも、マルコーニ、フアンホ・ドミンゲスも…… ブエノスアイレスの最高のスポットだった。そして、78年、セステート・マジョールが日本公演を果たしたが、この公演でダンスの振付を担当したのが、グローリア&エドゥアルド。以来、民音公演ではほぼ毎年、振付を担当するようになった。
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