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[2019.08]【連載】タンゴのうた 詩から見るタンゴの世界 第19回 1945年/マゴージャ

文●西村秀人 text by HIDETO NISHIMURA

マリア・エレーナ・ワルシュ...タンゴ・ファンにはなじみの薄い名前だろう。20歳過ぎでフォルクローレの女性デュオを結成し、欧州で成功、その後児童向けの演劇や音楽で著名になり、1960年代後半には当時の社会を反映した大人のための新しい歌を作り続けた。今回紹介するのはそんな彼女の異色作、珍しくタンゴの形式を使った2曲である。

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 作者マリア・エレーナ・ワルシュは1930年生まれなので、実際に1945年に15歳だったことになる。作品自体は1968年の発表で、多感で文才あふれる少女時代の想いを、23年後に振り返ったものである。タンゴという形式を選んだのは1940年代を表現するのにふさわしい形式だということだろう。

「エル・45」収録のマリア・エレーナ・ワルシュのアルバム Juguemos en el mundo

「エル・45」収録のマリア・エレーナ・ワルシュのアルバム『Juguemos en el mundo』

 マリア・エレーナ・ワルシュは1930年、アイルランド系の父とスペイン系アルゼンチン人の母の間に生まれ、ピアノを弾くことが趣味だった父の影響で音楽に興味を持つ。子供時代はブエノスアイレス郊外で、犬、猫、ニワトリ、バラ、オレンジ、レモンの木に囲まれた大きな家に住んでおり、後の作品にはこの当時の風景がたくさん登場する。12歳からブエノスアイレスのマヌエル・ベルグラーノ美術学院に通い、とても臆病で内気な女の子だったが、早くから文学的才能を発揮し、初めて自作の詩が雑誌にのったのは1945年、15歳の時だった(そう、この曲のテーマとなった時代である)。17歳で最初の本を出版、パブロ・ネルーダやボルヘスにも絶賛されコンクールで2位を獲得する(1位を与えるには若すぎる、という理由で2位だったという)。

マリア・エレーナ・ワルシュ

マリア・エレーナ・ワルシュ

若い頃のマリア・エレーナ・ワルシュ

若い頃のマリア・エレーナ・ワルシュ

 1951年に2冊目の詞集を発表、同年民俗音楽研究者で歌手のレダ・バジャダレスとデュオ「レダとマリア」を組み、翌年パリでデビューした。当時ヨーロッパで南米のフォルクローレを歌って活動しているアーティストはまだ少なく、大変な好評を得て、2枚のEP盤を録音する。1956年、アルゼンチンに帰国、北西部を長期間ツアーし、そこで知った歌を2枚のLPにまとめた。しかしこの頃からマリア・エレーナは社会正義、フェミニズムといった社会問題に関心を持ち、一方で児童向けのテレビ番組の脚本の仕事を任され成功したことをきっかけに、子供向けの音楽ショウを作ることを思い立つ。その最初の演劇作品「レイ・ボンボの夢」は大好評となり、テレビ番組にも多数の曲を提供するようになり、レダとマリア名義でもそれらの曲を録音するようになった。児童向けの本も出版、最終的にレダとマリアは1963年のEP盤を最後に解散した。

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