[2019.08]【連載 TÚ SOLO TÚ #231】マーク・アンソニーの新譜『OPUS』に注目!
文●岡本郁生
マーク・アンソニーの最新アルバムが素敵だ。『3.0』以来6年ぶりとなる『オパス』。オープニングの「パレセン・ビエルネス」からラストの「レコノスコ」まで全10曲、まさにこれぞマーク・アンソニー! マークそのものであり、マーク以外のなにものでもない。彼ならではの世界が存分に展開され、美しく、しなやかで、しっかりと地に足がついた素晴らしい作品に仕上がっている。その世界観は、1993年のデビュー・アルバム『オトラ・ノタ』から寸分も変わっていない。サルサ界ではほぼ無名の新人だった当時から、スーパースターとなった現在に至るまで、揺るぎなく一貫した姿勢。その根底にあるのは〝ニューヨリカンの誇り〟であろう。
『OPUS』(2019年)
68年9月16日にニューヨークで生まれたマーク・アンソニー。メキシコの人気歌手にちなんでマルコ・アントニオ・ムニスという本名を持つ彼は、10代後半になると、当時ニューヨークで盛んになっていたラテン・フリースタイルと呼ばれるクラブ・ミュージックの世界に飛び込み、その有名歌手との混同を避けるためマーク・アンソニーと名乗り始めた。ラテン・ラスカルズなどのバック・コーラスをつとめると同時にコンポーザーとしてサファイアらに楽曲を提供、やがて、DJ/プロデューサーのトッド・テリーと組んでスマッシュ・ヒットを飛ばし、91年にはマスターズ・アット・ワークの〝リトル〟ルイ・ベガとともにアルバム『ホエン・ザ・ナイト・イズ・オーヴァー』をリリースする。そんな中で92年、マジソン・スクエア・ガーデンで行われたティト・プエンテのアルバム100枚発表記念コンサートにゲスト・ヴォーカリストとして登場。それがきっかけとなって翌93年に『オトラ・ノタ』でサルサ・デビューを果たし、新世代のスターとして大きな注目を集めることになるのである。
実際、マーク・アンソニーの登場にはとてつもなく大きな意味があった。彼はまさにニューヨーク・サルサを救った救世主といっても過言ではない。もしあのとき彼が現れていなかったなら、その後のラテン音楽シーンはまったく違ったものになっていたはずである。
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