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[2015.08]救いようのない人生に捧げる親密な歌 ─YOSHIRO広石、近作を語る─

文●石橋 純

 スペイン語で説得力のある歌を聴かせる日本人は誰かと訊かれたら、私はまずYOSHIRO 広石の名を挙げる。

 1965年ベネズエラ・デビューを皮切りに、ラテンアメリカ各国を股にかけての10年以上のツアー活動はもはや伝説の域にある。世界に向けて市場を拡大していた1960年代ラテン・ショービジネスの息吹が鮮烈に伝わってくる抱腹絶倒の自伝は、かつて本誌の前身『中南米音楽』に連載され、いまはYOSHIRO 広石の公式ウェブサイトでその一部を読むことができる。

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ベネズエラ時代の YOSHIRO 広石

 1991年、YOSHIRO 広石はウーゴ・ブランコをプロデューサーとして迎え、ベネズエラ録音を敢行した。当時カラカスに暮らしていた私は、ラテンショービジネスの最前線に戻ってきたYOSHIROが、週末の長尺ヴァラエティ・テレビ番組の、ラスト一時間枠に生中継で登場する超一流アーティストのポジションで迎えられる様子を、つぶさに見聞した。

 その後ラスベガスやキューバでの大舞台も何度なくこなした90年代のYOSHIRO 広石は、日本の観客にむけてそんな活動成果をお披露目するようなリサイタルを東京で毎年秋に開いた。YOSHIROが培ってきたラテン・エンターテインメントのショー作りが、日本の興行形態にぴったりハマるとは限らないということもまた、私は見聞した。

 世紀をまたいで、YOSHIRO 広石に転機が訪れたように思う。本当に表現したいことを歌う真剣勝負の作品数曲、それをさりげなく聴かせるためのお膳立てとしてのショー。そんなYOSHIROの開き直ったとも言えるコンサートに、私は何度か立ち会い、感銘を受けた。

 そうしたこだわりと自由さがあいまった選曲を、YOSHIROは音源として世に問いはじめた。2009年の『愛の音』、2013年の『UNO〜人とは〜』、そしてこのほどリリースされた新作『FLORECERAN〜花は咲く〜』。「連作」とも言えるこの3枚のアルバムで、すこしづつ趣向を変えながらも、YOSHIROは、周縁に生きる者が悩み、もがき、つかの間の喜びを得るさまを、磨きぬかれた詞によって表現しきっている。それは、歌を通じてさまざまな境界を超えてきたYOSHIRO自身の人生の旅の回顧にもなっている。(インタビュー収録2015年6月2日)


 いわれなき差別
 他人は無関心
 君はマジョリティ
 報われぬ愛
 それでも僕は人を求める
 禁じられた存在
 もう僕の夢には出ないでほしい
 たとえつかのまでも
 心燃やしたいま感じる
 悲しい幸せ
  「禁じられた存在」(日本語版歌詞)『愛の音』収録より


──ステージではじめて「禁じられた存在」を聴いた時、衝撃を受けました。同時に「こういう曲はライヴだからこそ歌えるのだろうな」とも思いました。それが、アルバム『愛の音』では、日本語版・スペイン語版2バージョン、しかも語り付きで録音されています。

YOSHIRO 広石 あの曲をうたいたくて、『愛の歌』を制作しました。あれは僕の本音です。セクシャリティの問題でも、政治の問題でも、民族対立の問題でも「禁じられた存在」ってあるわけですよね。それを歌ってもいいじゃないかと。

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