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[2018.07]【連載】タンゴのうた 詩から見るタンゴの世界 第6回 砂まじりのしわがれ声で

文●西村秀人 text by HIDETO NISHIMURA

タンゴ界でいわゆる「ヒット曲」がなくなって久しい(他の分野でも似たようなものだが)。あえて最後のタンゴのヒット曲は何だろうかと考えた時、私はこの曲だと確信する。

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注:・ポラーコ…スペイン語で「ポーランド人」の意味。ゴジェネチェの髪の色が赤みがかっているところから、オラシオ・サルガン楽団時代の同僚であった歌手アンヘル・ディアスが命名。

・マレーナ…1942年に発表されたルシオ・デマーレ曲、オメロ・マンシ詞の名曲。「マレーナは他の誰ともちがうタンゴを歌う」という一節になぞらえて引用したものだろう。名曲「マレーナ」については、本誌2018年4月号の連載第3回をご参照ください。

・フアレス…歌手ルベン・フアレス。作者カチョ・カスターニャの作品をヒットさせてきた歌手でもある。また晩年白色のバンドネオンを使って弾き語りもやっていた。

・トロイロ…バンドネオン奏者・作曲家にしてタンゴ黄金時代の象徴的存在でもあるバンドネオン奏者アニバル・トロイロ。ゴジェネチェは長くトロイロ楽団の専属だった。

Cacho Castana CD Soy un tango(カチョ・カスターニャ自作のタンゴ集)

Cacho Castana『Soy un tango』(1994年)


 歌詞を見ればわかる通り、偉大なタンゴ歌手、ロベルト・ゴジェネチェ(1926~1994)に捧げられた曲である。作者はカチョ・カスターニャ。カチョは1942年、イタリア系の靴職人の家に生まれ、幼い頃から音楽の才能を発揮、16歳からタンゴ楽団のピアニストとして活動を始めるが、20歳前後でエレキ・ギターのベト率いるロス・ウラカネスというポップバンドにボーカリストとして参加、以後ポップスの分野で長く歌手として活躍してきた。当時から自作もたくさん発表してきたが、タンゴの作品も少なくない。その最初と思われるのは1960年代末、フローレス・ノルテ地区の端にあった「カフェ・ラ・ウメダー」(正式名称ではなく、地元の人の愛称)をそのままタイトルにしたロッカバラード風タンゴを発表、自身の歌でヒット、さらにルベン・フアレスが1977年のアルバムでとりあげヒットした。1970~80年代初頭にはTVドラマや映画にも多数出演、より広く知られる存在となる。一方でタンゴ作品も続き、1980年代には「まだ出来る」(Todavía puedo)、ルベン・フアレスとの共作で「歌うべきはタンゴ」(Qué tango hay que cantar)を発表しヒット。特に後者は1988年の映画「タンゴ・バー」にも使用され、ビルヒニア・ルーケ、バレリア・リンチ、カルロス・モレル、阿保郁夫らが録音するヒット曲になった。1990年代に入っても、今回の「砂まじりのしわがれ声」、ティタ・メレーロに捧げた「ティタ・デ・ブエノスアイレス」、アドリアーナ・バレーラに捧げた「めす猫バレーラ」、とバラード調タンゴを次々に発表している。

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