[2020.01]【連載】タンゴのうた 詩から見るタンゴの世界 第24回 クローディネット~ラ・ビ・ジェガール
文●西村秀人 text by HIDETO NISHIMURA
「ブエノスアイレスの灰色の男」...人は彼のことをそう呼んだ。タンゴの作詞家ではなく、あくまでブエノスアイレスの詩人だった。フリアン・センテージャの決して多くはないタンゴ作品は一定のスタイルを持たないが、なぜか印象深い。
ブエノスアイレスを身にまとって生まれてきたかのようなフリアン・センテージャだが、実は生粋のイタリア人、1910年パルマ県のボルゴ・バル・ディ・ナロの生まれ、本名はアムレト・エンリコ・ベルジアティ。無政府主義的考えを持つジャーナリストだった父親は、政治的迫害から逃れるため、妻、娘2人、息子1人、クリ・クリという名の飼い犬とともにアルゼンチンのコルドバへ1922年に移住、1923年9月ブエノスアイレスのボエド地区に落ち着いた。
フリアン・センテージャとアニバル・トロイロ
父の血を引き、早くから物書きの道を歩み始め、オメロ・マンシ、カトゥロ・カスティージョ、セサル・ティエンポといった詩人たちと同時代を分かち合うことになる。1938年「フリアン・パルダレス」というタイトルの詞をギタリストのホセ・カネーに渡す。カネーは「フリアン・センテージャ」の方がかっこいいし、脚韻にも合うといって改題を提案、当時エンリケ・アルバラードと名乗っていたセンテージャは了承、ここにミロンガ「フリアン・センテージャ」が生まれ、後その名前を自らのペンネームとして使用するようになった。
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