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[2015.06]カルロス・ガルデル没後80周年記念特別企画〜没後61年目に初めて明らかにされた…カルロス・ガルデル出生の秘密①

文●樫村 慶一

1920〜30年代にスペイン語圏はもちろん、ヨーロッパ、アメリカと何度もツアーし、コンサートだけでなく映画にも出演して、タンゴの普及に大きく貢献をした歌手、作曲家がカルロス・ガルデルだ。彼はニューヨークでの映画の撮影を終え立ち寄ったコロンビアで、飛行機事故でこの世を去った。その後、彼の出生を巡ってウルグアイとアルゼンチンが大論争していたのだが、結局、フランスのトゥールーズで出生証明書が発見され、論争に終止符を打ったように見える。しかし、もう一つ、飛行機事故を巡る謎は未だに解明されているわけではない。そのふたつの謎の解明についてはこの日本では今まで詳しく論じられることはなかった。今年は、ガルデルが亡くなって80年。アルゼンチンでも数々のイベントが開催され始めているが、この機に、この謎に真正面から取り組んでこられた樫村慶一氏(元KDDブエノスアイレス事務所長)にその真相を本誌で3号にわたって書き留めていただくことにした。

まえがき

 世界的なアルゼンチン・タンゴの不世出の大歌手と言われる、カルロス・ガルデルは1935年6月24日、コロンビアのメデジン空港での飛行機事故で45歳の生涯を終えたが、その事故の原因を始め、彼のプライバシーには謎とされていた部分が多く、出生地、国籍、父親などについて、憶測や風説が色々と伝えられてきた。これらを〝ガルデルの神話”と言う人達もいる。このような神話は偏に、父親が誰であるかが分からなかったことに起因している。ガルデルの父親については、ずっと後になってフランス人の商人パウル・ラセーレと言う人が父親だという説が流され、誰もこれに反論しなかったためにこの説が定着してきた。このように、かって〝謎”とされていた事柄について、ブエノス・ アイレスの出版社「コレヒドール社」が1996年に出版した、「カルロス・ガルデルと私達の家計譜(2003年6月13日、翻訳権入手)」と言う本を中心に、同地の日刊紙「クラリン(1990年12月)」と「ラ・ナシオン(1995年5月)」の記事、及び私が集めた資料などを参考にして、没後80周年の節目に当たり、改めて真相を明らかにする。

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▲トゥルーズで発見されたガルデルの正式な出生証明書

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