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[2017.07]連載 太平洋の向こう岸からの手紙 #2 『ドン・ゴショ』

文●フアン・フェルミン・フェラリス

 ドン・ゴショ、私の祖父であり、最初に書いた一編の歌のタイトルでもあります。それは彼の歴史を想いながら作曲したものでした。最初のヴァースはこのようなものです「ゴショは譜面台と一緒にいる/そしてラジオが振動する/アスールで(*1)」

 これを書いた当時、私はとても若かったし、シンガーソングライターになりたいと思い始めたばかりでした。祖父は、アスールという小さな町に住んでいて、音楽をよく知っていました。それで私が最初に音楽に触れている間一緒にいてくれました。毎日彼と注意深く聴いていたことを今も覚えています。

 ゴショは、慎み深さと素朴さを持った男でした。それは彼の町ではとても重要なことだったのです。またブエノスアイレスのフォルクローレの習慣に精通する人でもありました。私の家族が彼になぜその町にいてこんなにも詳しいのかと尋ねたとき、彼の答えはとてもシンプルなものでした。歌詞で語ったように、祖父はラジオで働いていて、60年間人々と話し続けたからです。

 彼が語り部への道はラジオ劇場(*2)の責任者から始まっています。とはいえ彼自身のラジオ番組『ドン・ゴショの焚き火』を開始するにはその後数年かかったのですが。焚き火は朝に放送されたプログラムで、目覚めていたほとんど全ての町人に聴かれていました。

 他のアナウンサーがなぜそんなに聴衆を獲得できるのかと祖父の秘密を尋ねたとき、彼はこう答えました。「私は人々に、彼らに起こったことを話すのです」。それが祖父の真実でした。祖父はその町に住む人々に興味を持ち、彼らの習慣、苦悩、喜びを知る男だったのです。

 伝達者としての成功は、コスキン・フェスティバルのオープニングに出席するだけにとどまらず、手作り品のフェリア(*3)のコーディネーターとして何年もの間仕事をするに至りました。

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