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[2022.4] ロック・ドキュメンタリー3本立て!⎯ 同じ時代の同じ場所に生まれた音楽から見えてくるものとは何か?

文●あくつ 滋夫しげお(映画・音楽ライター)

 昔からロックに関するドキュメンタリー映画は何本も作られてきたが、特にここ数年では、追い切れないほど沢山の作品が公開されている。個々のアーティストやバンドを掘り下げたものから、ある特定のシーンを追ったものまで、その多くは当時の貴重なライブ映像やプライヴェートの姿を、そして本人や親族、近しい関係者の証言を織り交ぜ、様々な切り口で創られている。元々のファンにはもちろん、その対象をよく知らない初心者でも楽しめるものも多く、何より各々の音楽をスクリーンで体感出来る喜びに溢れているというのが、どの作品にも共通する素晴らしさの一つだろう。
 4月から5月にかけても多くのロック・ドキュメンタリー映画が公開されるが、それらの中には同じ場所と時間を起点とした作品がいくつかある。それらをまとめて観てみると、期せずして背景となった時代性がそれぞれ別の視点から立体的に浮かび上がってくる。そんな時代性を意識すると、作品に対するより深い理解と新たな見方が感じられて面白い。


『ローレル・キャニオン 夢のウェストコースト・ロック』
※5月6日(金)より全国順次公開
©2020 CANYON FILMS, LLC ALL RIGHTS RESERVED
https://unpfilm.com/rockumentary2022/

 5月6日公開のアリソン・エルウッド監督『ローレル・キャニオン 夢のウエストコースト・ロック』は、かつて一世を風靡したウエストコースト・ロックの誕生に大きく関わったローレル・キャニオン、つまりロサンゼルスのサンセット大通りの奥にある渓谷と丘が広がる地域についての、60年代後半から70年代初めにかけての物語だ。1963年にここにやって来たモダン・フォーク・カルテットのベーシストで後に写真家になるヘンリー・ディルツの証言に始まり、まだ若い多くのミュージシャンがこの地に移り住んで集い、まるで一つの共同体のような愛と平和に満ちた理想郷として過ごし、それが夢と消えるまでの数年間を描いている。
 ローレル・キャニオンは地理的に、LAを拠点とする新人ミュージシャンの登竜門にして聖地だったライブ・ハウス、トルバドールとウィスキー・ア・ゴーゴー、そしてハリウッドのナイトクラブ街からも近い場所に位置し、家賃も安かった。ここで暮らし始めたミュージシャン達は互いの家を自由に行き来して創造的な刺激を与え合い、切磋琢磨を繰り返した。音楽的にはフォーク、ロック、カントリー、さらにはブルース、ジャズ、R&B、ラテンなど様々なジャンルを融合しながら各々がオリジナルなサウンドを創り上げ、やがてそれはウエストコースト・ロックという大きなうねりとなっていった。そしてローレル・キャニオンは、いつしか伝説の場所となったのだ。
 登場するのは当時ここに居を構えていたザ・バーズ、バッファロー・スプリングフィールド、タートルズ、ラヴ、ドアーズ、モンキーズ、ママス&パパス、CSN&Y、ジョニ・ミッチェル、ジャクソン・ブラウン、ボニー・レイット、リンダ・ロンシュタット、J.D.サウザー、イーグルス等のミュージシャンや、ウエストコースト・ロックを象徴するレコード会社アサイラムを1971年に設立し、ジョニやニール・ヤングのマネージャーだったエリオット・ロバーツとデヴィッド・ゲフィン等のその後の大物ばかり。そんな彼らが日常生活の驚きの逸話や、名曲誕生の興味深い秘話を語り継ぐのだ。変わり種としては俳優のスティーヴ・マーティンもここに住み、実はバンジョーの名手として後にグラミー賞も受賞した彼が、下積み時代にトルバドールでリンダ・ロンシュタットの前座を務める姿も確認出来る(笑える!)。
 また各バンドのメンバー同士の交流や交際、その結果としての解散と新バンドの結成という、ウエストコースト・ロックシーンの複雑な人物相関図が見えてくるのも面白い。これらの様々なエピソードが、厳選された貴重な映像と写真によってバランス良く、分かりやすく、そして軽やかにに語られる。特に印象的なのがヘンリー・ディルツとヌリット・ワイルドという、ここに暮らし普段から多くのミュージシャンと接していた写真家の作品で、その多くはアルバム・ジャケットにもなっている。二人のカメラは、仲間だからこそ見せてくれる屈託のない笑顔と親密な素の姿を、ローレル・キャニオンの大自然の中で見事に捉えている。そんな二人の作品が全編にわたって映し出され、本作のビジュアル・イメージを多いに高めている。
 そして本作にはベトナム戦争や公民権運動、ヒッピー・ムーヴメントからのコカイン/ヘロイン中毒などの社会問題が、静かにローレル・キャニオンにも侵食する様子が描かれる。また音楽的なトピックとしてママス&パパスが中心になって開催された1967年6月のモントレー・ポップ・フェスティヴァル、愛と平和の祭典と謳われた1969年8月のウッドストック・フェスティヴァル、演奏中に観客が殺害され、この時代の終焉を象徴するとも言われた1969年12月のオルタモント・フリーコンサート。さらにドアーズのジム・モリソンとママス&パパスのキャス・エリオットの死が、全体を貫く縦糸として織り込まれている。
 決定的だったのはカルト集団チャールズ・マンソン・ファミリーによる一連の殺人事件だ。彼らのコミューンがあったスパーン農場はローレル・キャニオンからさほど遠くなく、シャロン・テート事件の現場となったロマン・ポランスキー邸はすぐ近くだ。その家は以前ザ・バーズのプロデューサーの家で、よくパーティーが開かれ多くのミュージシャンの記憶に残っている場所だ。また別の殺人事件の実行犯の一人ボビー・ボーソレイユは、ラヴのジョン・エコールズのかつての音楽仲間だった。これらの事実はローレル・キャニオン全体に衝撃を与え、急激に暗い影を落としてゆく……。同じ頃、音楽業界の市場規模が急速に巨大化し、レコード会社は極端に商業的な方へと向かって行く。その結果、ローレル・キャニオンの住人たちがこれまでに培ってきたのどかで繊細なやり方は、モンスター化した音楽産業の新たなシステムに呑み込まれてゆく。
 ローレル・キャニオン、そこにはまだ何者でもない理想に燃えた野心的な若者たちが集い、ともに歩み、そして離れていった、青春の光と影の喜びと切なさが詰まっている。

『ZAPPA』
※4月22日(金)よりシネマート新宿・シネマート心斎橋にて、ほか全国順次公開
© 2020 Roxbourne Media Limited, All Rights Reserved.
https://zappamovie.jp/

 4月22日公開の『ZAPPA』の主人公は、もちろんロック・ミュージシャンのフランク・ザッパだ。実はザッパもローレル・キャニオンで暮らし、その中でも中心的な一人だったが、『ローレル・キャニオン 夢のウエストコースト・ロック』では名前が一度だけ言及され、写真が二枚映し出されるだけだ。おそらくそれは彼の音楽が、ここで暮らすどのミュージシャンの音楽とも似ていない全くオリジナルなもので、1つの映像作品の中で統一感を保って描くのが難しかったからではないだろうか。ザッパ自身も本作の中で「ロサンゼルスは右にならえになりがちだ」と、少し批判的に語っている(後にタートルズの二人がザッパのバンドに参加するが!)。ちなみに妻のゲイルは、自宅裏の山に店を出したマンソン・ファミリーの不気味さについて語っている。
 フランク・ザッパの実像は、“ロック・ミュージシャン” という肩書き1つでは全く言い表せない。ギタリスト、歌手であり、作曲家、編曲家なのは当然として、皮肉に満ちた歌詞や多くの発言からは明確な政治的スタンスと秀でた知性に裏打ちされた思想家としての顔を見せ、本作の中でも実際にあらゆる権威に対して躊躇なく立ち向かっている。そしてさらに映像作家、イラストレーター、グラフィック・デザイナー、コピーライターやレーベル経営者としての一面も見えてくる。しかしその中でも本人の言動や関係者の証言から浮かび上がってくる、最も相応しい肩書きは作曲家だろう。そのジャンルはロック(それもブルース、ロックンロール、ドゥーワップ、R&B、プログレ、サイケデリックetc.と多様だ)はもちろん、ジャズやポップス、電子音楽、クラシック、そして現代音楽と多岐に渡り、それらが混ざり合った音楽が頭の中に泉のように湧きあがってくるのだ。
 ザッパは天才であると同時に一般的には奇人変人というイメージが強いと思うが、本作を観て感じるのは「作曲家として頭の中で完成させた音楽を、演奏者としていかに実際の音としてそのまま表現出来るか、という欲求に真摯に向き合っているだけ」という事だ。そのためにバンドのメンバーには完璧を強いて、それを理解出来ないマスコミを突拍子もない言動で煙に巻く。しかし本人は至って真面目で、ヒッピー・ムーヴメントのあの時代に一切ドラッグをやらず、自分の表現を追求するために人に迎合せず、様々な創作活動に多くの時間を費やしたのだ。こうして誰もが迷って出られなくなってしまう樹海のようなディスコグラフィーと、未発表音源の山を築き上げたのだ。
 本作はザッパの生い立ちから前立腺癌で52歳の若さで1993年に亡くなる迄の、まさに波乱万丈の人生が、ほぼ時系列に沿って駆け足ではあるが満遍なく描かれている。何より監督のアレックス・ウィンターが遺族から全面的な協力を得られたことで、ローレル・キャニオンの自宅の地下に遺された膨大なアーカイヴの中から、ほぼ初出しの貴重な映像と音源がふんだんに使われている。中には両親の姿や少年期の自作ゾンビ8mm映画、高校時代に知り合ったドン・ヴァン・ブリート(キャプテン・ビーフハート)、初めて組んだ人種混合のカバーバンドなども出てくる。また高校で初めて独学で作った曲がオーケストラ用の曲で、ロックは20歳過ぎてから、というのも驚きだ。
 ザッパはまるでマイルス・デイヴィスのように、後に有名になる多くの新たな才能をバンドにフックアップしてきたが、本作でも彼らの演奏を観ることが出来る。イアン・アンダーウッド、ジョージ・デューク、ジャン=リュック・ポンティ、スティーヴ・ヴァイ、テリー・ボジオ、パトリック・オハーン、エイドリアン・ブリュー、チェスター・トンプソン、ヴィニー・カリウタ、そしてジョン・レノン&オノ・ヨーコとの共演。ロック以外ではレニー・ブルース、ズービン・メータ、クロノス・カルテット、ケント・ナガノ、ピエール・ブーレーズ、アンサンブル・モデルンも登場する。撮り下ろしで現在のルース・アンダーウッドとジョー・トラヴァースが、ピアノとドラムで演奏する「ブラック・ページ」も素晴らしい。
 音楽以外ではアルバム・ジャケット等のビジュアル面でのパートナーとなったカル・シェンケルや、日本にもマニアックなファンが多く来日経験もある伝説のクレイ・アニメーターのブルース・ビックフォードとの出会いも面白い。また「Gスポット・トルネード」をバックにコンテンポラリー・ダンスを激しく踊るのは、やはり来日もしているラララ・ヒューマン・ステップスの二人だ。そして息子のドゥイジールは、父の死後に “ZAPPA plays ZAPPA” として、父の偉大な音楽を見事に蘇らせ来日公演も行ったが、そんな彼がまだ少年ながらギターを片手にその片鱗を見せるのも感慨深い。
 ザッパの死からもうすぐ30年が経とうとしている。それでも遺族の手によって未発表音源からこの映画の制作時で53枚のアルバムが発表されているが、それすらザッパ本人が死後の世界から細かい指示を出しているように思えてならない。

『スパークス・ブラザーズ』
※公開中
配給: パルコ ユニバーサル映画
© 2021 FOCUS FEATURES LLC. ALL RIGHTS RESERVED
https://www.universalpictures.jp/micro/sparks-brothers

 最後は4月8日から公開中のエドガー・ライト監督の初ドキュメンタリー作『スパークス・ブラザーズ』だ。スパークスとは1968年に結成され1971年にアルバム・デビュー(当初のハーフネルソンから翌年改名して再リリース)を果たし、それから一度も解散することなく今も活動中の、ロン&ラッセル・メイルの兄弟バンドだ。彼らが最初にブレイクしたのは70年代前半のイギリスで、その音楽性からもイギリスのバンドというイメージが強いが、実は二人は生粋のカリフォルニア人だ。ローレル・キャニオンから海の方に下ったサンタモニカの隣町で育ち、当時大人気だったフォークやウエストコースト・ロックには全く興味を示さず、ビートルズやザ・フー、ピンク・フロイド等のイギリスのバンドを追いかけていた。
 本作は二人の生い立ちから学生時代、バンドのデビュー、そして現在に至る迄の紆余曲折が、特定の時期に偏ることなく時系列に沿ってほぼ均等に描かれる。この均等ということは、逆に言えば彼らが常に変化し続けているということの裏返しでもある。実際に彼らの音楽はロックンロールをベースにポップス、プログレッシヴ・ロック、オペラ、ジャズ、ディスコ、パンク、テクノ、ミニマル・ミュージックと幅広いジャンルを取り込み、その時々で変貌し続けている。しかしどんなサウンドでもそこにラッセルの艶のある声と、ロンの知的で皮肉の効いたユーモア溢れる歌詞が乗れば、即座にスパークス印が刻まれるのが彼らの凄さで、それは本作を観れば誰もが実感出来るだろう。 
 ちなみにデビュー作のプロデューサーであるトッド・ラングレンがインタビューの中で、自分とラッセルとミス・クリスティーンとの微妙な三角関係を匂わすが、彼女はフランク・ザッパの第一子(ムーン・ザッパ)のベビーシッターで、ザッパ家にたむろする他の女の子を集めてザッパがプロデュースしたガールズ・グループThe GTOsのメンバーだ。そして『ZAPPA』の中でアリス・クーパーをザッパに紹介した人物でもある。またThe GTOsの別のメンバーで、イギリスのロック・バンド、シルヴァーヘッドのマイケル・デ・バレスと結婚したミス・パメラは、その後作家として成功し、本作と『ZAPPA』の両方でパメラ・デ・バレスとしてインタビューを受けている。
 本作は多くの有名ミュージシャンを含む人々の “スパークス愛” が、彼らの人気の浮き沈みに関わらず溢れ出るような作品で、観終わったら自分の胸の中だけでなく、映画館全体が何とも幸せな空気で包まれているはずだ。“人気” と言っても万人受けのメガヒットではないので、特に日本ではマニアックな存在だろう。それでもスパークスはクイーンよりも早くクイーンのようなサウンドを奏で、デペッシュ・モードよりも早くデペッシュ・モードのようなサウンドを生み出していた。そんな二人の音楽的な先進性や知的な歌詞とファッションやジャケットのアートワークなどのビジュアルも含めた孤高のセンスこそが、ハマる人にはクセになる一生モノの魅力なのだ。
 そして彼らの本質とも言えるユーモアが、いつでもキャリア全体に渡って散りばめられている。一方ライト監督も多くの作品に、独特のセンスで笑いを込めている。本作ではそんな二つのセンスが共鳴し合い、遊び心のある笑いが全編に仕掛けられている。例えばタイポグラフィや文字の組み方自体にもセンスが感じられるし、会話の中の面白い言葉に合わせて一発ギャグ的な映像を当てたり、再現ドラマの代わりのアニメーションにもワクワクするような楽しさがある(“スレッジ・ハンマー”という単語に合わせていきなり一世を風靡したピーター・ガブリエルの大ヒット曲のMV風クレイ・アニメになる!)。そんな一度観ただけでは把握し切れないであろう沢山の小ネタが、鑑賞後の幸せ気分にも繋がっているのだろう。
 ユーモアの表現はスパークスの真骨頂であるが、彼らの持ち味はそれだけではない。人間が根源的に抱える孤独や相対した時の不条理を見事に捉えた曲も多くあり、そこには彼らの人間に対する哲学的とも言える洞察力が感じられる。そしてそこに生まれる多面的な感情の深さと切なさが、単なる面白さだけではない分かり易さと複雑さが絶妙なバランスで拮抗する、スパークスの捉えどころのない魅力になっているのだ。この人間の内面を静かに見つめる感覚は、二人が幼少の頃から親しみ、ベルイマンやヌーヴェル・ヴァーグに影響を受け、大学では制作を学んだ映画に共通するのではないだろうか。そして本作では音楽キャリアと並行して、彼らと映画との関わりが描かれている。
 二人の映画の夢は、これまでに二度、企画が進みながら何れも頓挫している。最初は70年代にフランスの監督/喜劇俳優のジャック・タチとの企画を進めていたが、タチの体調が悪化して流れてしまう。次に80年代に日本の漫画「舞」をティム・バートン監督が映画化する予定だったが、別の作品との絡みでバートン監督が降板してしまう。そして三度目の正直が、スパークスの原案と音楽をレオス・カラックス監督がミュージカルとして映画化した『アネット』だ。本作の中では映画はまだ撮影途中だが、その結果は映画好きであればもう知っているだろう。しかもまさに今劇場で公開中だ。これは観に行くしかない。なぜってスパークスは原案と音楽だけでなく、しっかり出演も果たしているからだ!

 こうして3本のドキュメンタリー映画を観て感じるのは、同じ時代の同じ場所に、ローレル・キャニオンの仲間意識が育んだ音楽シーンと、それとは一線を画したフランク・ザッパとスパークスという孤高の存在があって、その2人(3人)の個性は実は似ているということだ。どちらもメインストリームでの成功に背を向けて、自分の個性を信じ続ける。そして思うがままに音楽のスタイルを変えて、決して妥協を許さない。仲間意識の中で競い合って生まれる各々の個性も美しく素晴らしいが、自分の意志を貫く強靭さにも惹かれてしまう。どちらが正しいということではなく、優劣をつけずに全ての音楽を愛し、楽しもうと思う。
 そしてマンソン事件周りの出来事を描いたタランティーノ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』と、同じ時代のロンドンの明暗を描いたエドガー・ライト監督の『ラストナイト・イン・ソーホー』をもう一度観てみようかな、などとつらつらと考えている。なぜならきっと何かが違って見えると思うから。

(ラティーナ2022年4月)



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