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[2017.04]【第3回 カンツォーネばかりがイタリアじゃない】ルドヴィコ・エイナウディ: ピアニストの宇宙

文● 二宮大輔

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Ludovico Einaudi

 私の行きつけの喫茶店では、地元京都のミュージシャンのCDが店内BGMとしてかかっている。中でも人気は、インディーズのロックバンドでキーボードを担当しているYatchiのソロ・アルバム「Metto Piano」だ。ピアノやキーボードの一発録音で構成されたこのCDをかけると、一見客からも「これは誰の曲ですか?」と尋ねられることがよくあると喫茶店のマスターが言っていた。アルバムの題名は「目とピアノ」をイタリア語風に言い換えたもの。Yatchi自身が書いたライナーノーツによると「ピアノも人も同じく宇宙である」という意味が込められているらしい。安直に思いを巡らせると、ピアノも人も同じ宇宙だからこそ、その音色は一見客の心にもすんなりと入り込むのだろうか。そういえばトリノのカフェで働いている友人からも、店内でかけるとよく問い合わせを受けるというピアノの楽曲を教えてもらった。ルドヴィコ・エイナウディの「Stella del mattino」(夜明けの星)だ。

 繰り返される旋律が心に染み入るこの名曲を生み出したルドヴィコ・エイナウディは、イタリアを代表する作曲家兼ピアニスト。1955年トリノに生まれ、母の影響でピアノを始める。20代前半、ロックバンドの鍵盤奏者として活動するとともに、ミラノのジュゼッペ・ヴェルディ音楽院で現代音楽の大家ルチアーノ・ベリオに師事。作曲家としても、早くから多数の映画や舞台に楽曲を提供してきた。ライブ盤などを含めると、これまでに20枚以上の作品を発表してきた。最新作は2015年の「Elements」。南アフリカのヴァイオリン奏者ダニエル・ホープが参加した「ペトリコール」に始まり、友人であるシンガー・ソングライター故ギャヴィン・クラークを追悼する「ギャヴィンに捧げる歌」まで、世界の多様なアーティストと関わり合いながら切り開いたルドヴィコ・エイナウディの新境地だ。静謐な鍵盤、弦楽器、電子音を基調にしながら構築された音世界は、作品タイトルが示す通り、自然界の構成要素が美しく絡み合っているように聞こえる。このほど邦盤も発売され、アジア・ツアーに合わせて今月16日には東京で3年ぶりの来日公演も決まっている。

 このように華々しく活躍するルドヴィコ・エイナウディだが、イタリア人がエイナウディという名を耳にしてまず連想するのはピアニストの彼ではなく、出版社のエイナウディのほうだろう。ルドヴィコの父ジュリオ・エイナウディが創設したイタリア有数の大手出版社だ。さらに言うと、彼の祖父ルイジ・エイナウディはイタリアの大統領、イタリア銀行頭取などを歴任した政界の大物。つまりルドヴィコは社長子息なわけだ。だが彼らは決して名家の血筋でも、上流階級のエリートでもない。

 祖父のルイジは北イタリアの片田舎で、母子家庭のもとに育ち、経済学を修め社会主義に傾倒していく。新聞に寄稿しつつ大学で教鞭をとっていた彼は、ムッソリーニ政権が台頭した1930年代前半、反ファシズムを表明したとして職をはく奪される。時を同じくして、ルイジの息子ジュリオは若干21歳の若さで、学校の友人たちといっしょに出版社を立ち上げる。創設に携わったメンバーは歴史家ノルベルト・ボッビオ、レオーネ・ギンズブルグなど、後にイタリア史に名を残す錚々たる顔ぶれだ。創設の目的は、ファシズムに屈することなく、トリノに根付いた社会主義思想を発信していくこと。戦中の弾圧を乗り越えたエイナウディ社は、1950年代以降、作家チェーザレ・パヴェーゼの小説を主力にしつつ拡大していく。一方、ルイジ・エイナウディは優れた経済学者として戦後共和制の基盤をつくり、1948年にイタリア共和国大統領に任命される。

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