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[2018.02]ディエゴ・スキッシ × 菊地成孔 スペシャル対談《前編》
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[2018.02]ディエゴ・スキッシ × 菊地成孔 スペシャル対談《前編》

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 日本とアルゼンチンの現代の音楽シーンを代表する鬼才2人の対談が実現した。

 アルゼンチンの音楽にも注目してきている菊地成孔は、ラジオ等での紹介を通して、ディエゴ・スキッシの音楽を日本に紹介し続けてきた。菊地は、ディエゴの音楽にどんなところに惹かれたのか?
 ディエゴが「ザ・ピアノ・エラ 2017」への出演を控えた昨年11月某日、2人は対面した。

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■ディエゴのバックグラウンド

菊地成孔 僕はあなたのピアニストとしてピアノを弾いている作品も含めてほぼ全部持っています。ただCDの細かい文字を読むのが苦手なんで、僕は実はディエゴさんがおいくつの方で、どういうプロフィールをお持ちの方でああいう音楽をやっているのかとか全く知らない。ただ作品だけ全部持っている。

ディエゴ・スキッシ 僕は独学のピアニストなんだ。長年ジャズを弾いてきた。35歳までずっとジャズ・ピアニストになると思っていた。今は48歳だ。35歳から40歳の頃に、ジャズが自分の進む道ではないと気づき、タンゴが好きになっていった。でもやっぱりタンゴでもなく自分の作曲を通じて音楽をやりたいと気づいた。ジャズの要素やタンゴの要素を使って音楽を作りたいんだと。タンゴは自分のアイデンティティだと感じているが、それが制限という意味ではなく出発点としてのアイデンティティだ。菊地さんと同様、音楽は音楽。その上で、関心があるもの、好きなものをすべて取り入れていく。でも音色の意図としてはバンドネオン、バイオリンにしろ、タンゴに軸を置いている。

菊地成孔 僕は2005年、12年前ですけど、ブエノスアイレスに取材に行ったことがあります。「Esquire」という雑誌の音楽特集のジャーナリストとして行ったんですけど、編集部の要請は主に、当時アルゼンチン音響派と言われたアーティストの取材だった。国際的には使われていない言葉なんだけど。フェルナンド・カブサッキとかフアナ・モリーナなどを取材して帰ってきた。彼ら以外にも、バンドネオンを使ってタンゴをピアソラより先に進めようとしている人たちがいっぱいいて。僕の運が悪かっただけかもしれませんが残念ながらそういった人たちの作品は全然僕の琴線に触れなかった。彼らの理念と目的はよくわかります。しかしそれはクラブ・ミュージックの上にバンドネオンが入っていたり、いたずらにプログレシブロックみたいになっていたりするもので、あんまり琴線に触れなかった。それから約8〜9年経って、はじめてディエゴさんの作品に出会ったときにこれこそがピアソラの先に進める一番優れた成功例だと感じました。驚きました。

ディエゴ・スキッシ ありがとう。タンゴに取り組むことは難しいという意味で菊地さんと同感だ。非常に閉ざされたルールを伴う音楽だからだ。我々が目指しているその解決策は、作曲だ。タンゴというジャンルを超えて作曲としてとらえる。ハーモニーやリズム、メロディーを変えても、タンゴの音色やエネルギーを変えてはいけない。タンゴには非常に多くの強弱の力学があり、それはそのまま使う。それ以外はすべて変えられる。僕は常にタンゴを作曲としてとらえてきた。今のところはまだ音色を変えることができないし、まだ即興演奏もできない。まだ時期尚早だからだ。今ある作曲の構想に例えばトロンボーンを加えるとその構想は崩れてしまう。即興をしてもやはり崩れてしまう。次のプロジェクトはトロンボーンを入れて、即興を入れたものにするぞ! 冗談だよ! でも実際、門戸は常に開かれている。目指しているのは、作品に有機的なセンスを持たせることだ。

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Photos by Ryo Mitamura ⓅTHE PIANO ERA

■マエストロたち

菊地成孔 僕があなたの音楽をはじめて聞いた時に思ったことはまさにそれで、1965年あたりからマイルス・ディヴィスがジャズで行ったこととまったく同じ。ジャズ・ピアニストを目指されたんだからお分かりだと思いますが、音色とパワー、楽器編成はハード・バップなままですけど、ハーモニー、リズム、あらゆるものを彼は変えた。

ディエゴ・スキッシ ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、トニー・ウィリアムスとか……

菊地成孔 マイルスの第二期クインテットの面々だね。

ディエゴ・スキッシ その通り、彼らこそマエストロで、アストル・ピアソラもその一人だった。音楽の内部のロジックを実現するために全てを一気に変えるのではなく統合するという考え方だ。つまりたくさんの構想が存在しても、構想のフィルターを通して一番いい形に統合されたものを残す。そういう意味では統合の音楽だと言える。周辺に向かうのではなく中央に向かってまとめあげる。写真と同じで200枚写真を撮っても残るのは3〜4枚だというのと同じことだ。

菊地成孔 今は情報が多い時代ですから、ともするとミュージシャンはコンピューターを経由して情報の滝に流されて自分を見失ってしまう。今あなたがおっしゃったことができるミュージシャンが本当に優れたミュージシャンだと思います。僕もそうありたいと思います。

ディエゴ・スキッシ 僕は菊地さんみたいでありたいな。

■ピアニストとしてのディエゴ

菊地成孔 ところで何でジャズ・ミュージシャンになるのを諦めたのでしょうか? というのはあなたのジャズ・ピアノも私は大好きです。例えばディエゴ・スキッシ・ピアノ・トリオというものを聞きたいなと思っているジャズ・ファンも多いと思いますけど?

ディエゴ・スキッシ 僕はピアノと非常に神経過敏な関係にある。だから自分のピアノを信頼していない。自分が作曲をしているときは自分の音楽を信じられる。ジャズを長年演奏したことで、決まりきった型が身に付いてしまった。例えばハービー・ハンコックの音楽を学びたいと思ったらハービー・ハンコックの型を覚えて、キース・ジャレットやビル・エバンスを学ぼうと思ったらまたそれぞれの決まった型を覚えようとして、いつまでもジャズの学生であることから抜け出せない。今はソロ演奏もするし、即興もするようになり、自分にとって居心地のいい場所を見つけた。いつになるかはわからないけど、ピアノ・ソロのアルバムを作りたいと思っている。自分としてもジャズや即興に戻りたいけど、別の視点からという意味だ。

菊地成孔 ただ、アルゼンチン・ジャズのピアノを弾いていた作品のピアノ・ソロのなかにもすでに今のタンゴ作品のエッセンスは十分聞いてとれます。特に僕が驚いたっていうか、すばらしいと思ったのはリズミック・アプローチ。リズミック・アプローチは今どの音楽でも非常に重要になっていますけど、その点に関してはどのようにお考えですか?

ディエゴ・スキッシ 菊地さんはいつもとてつもない仕事へのエネルギーを持っているけど、みんなが同じエネルギーを持てるわけではなくて、僕は1度に1つのことしかできない。今はまだ自分のキンテートの音楽に意味を見いだしているところだ。今回の来日も例えば成田さんの招待で、成田さんにはソロで演奏したらどうかと言われたが、僕は断った。「(北村)聡との演奏にしないか」って。それで今はデュオの曲とソロの曲を半々でやっているけど、自分のピアノ・ソロでは、もうほぼ見えてはいるんだけど、自分にとってのその何かを見つけようとまだ探っているところだ。聞こえてはいるけどまだ形にならない。

菊地成孔 それもあなたの大きな魅力の一つで、僕はアントニオ・ロウレイロとかアクセル・トスカとか、ブラジル人やキューバ人の先端のミュージシャンと直接話をする機会を得ていますが、彼らはおおむね独学ではない。

ディエゴ・スキッシ 僕もジャズのディグリーは持っている。クラシックピアノの勉強はしていないがジャズは勉強した。でもジャズの勉強というのは、直感に基づく部分が多くて、学校教育とは少し異なるものだ。

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■ジャズとタンゴとリズム

菊地成孔 僕があなたの音楽から強い魅力を感じるのは、学校で勉強して、有名な先生がいて、っていう風な形のアカデミックなものではなくて。やっぱり今日初めてバイオグラフィーを聞いて、ジャズ・ピアニストから始まったということに対して非常に驚いたと同時に非常に納得しました。

ディエゴ・スキッシ ジャズというのはすべての音楽に対して開かれているんだ。最も自由な音楽の一つで、オープンマインド。ジャズのエネルギー自体、例えばマイルス・ディヴィスのキンテートのエネルギーを僕は目指したいし、演奏する時に感じたい。それがみんなにとっての学校だ。だけど僕はジャズの言語、話し方を遠くに感じた。だから僕は別の言語、別の音色を探さなくてはと思った。それはまだ模索中だ。

菊地成孔 それを強く感じます。僕もジャズ・ミュージシャンなんでジャズの魅力そのものっていうか。ディエゴさんの音楽はジャズではないのだけれども、ジャズ・ピアニストだったという経歴を知っていても知らなくても、音楽のなかにそれこそダイナミックな、動的な力が満ちてて、アカデミックな教育を受けた人が物事をプログレスしていくときに往往にしてある、よくできてはいるけどスタティックな感じではなくてすごく動的なものを感じました。常に追求されているというような感じを受けました。

ディエゴ・スキッシ それに即興のエネルギーというものが存在する。自由なエネルギー。リズムには多くの影響がある。タンゴは非常に抒情的で非常に柔軟な音楽だ。いっぽうジャズはアフリカの影響を受けている。だから僕たちの音楽には時にはリーリーリリーリリーリ……という(ゆったりした)テンポもあれば、タクタクタクタという(アフリカの影響を受けた)テンポもあってその両方を融合させている。ドラマー、パーカッショニストを入れずにそういうリズムを作るのが最も難しい点だ。

菊地成孔 非常によくわかります。僕はいっぽうでアフリカ音楽の研究家でもある。僕もジャズで行き詰まったときにアフリカの音楽を徹底的に研究する。次の音楽の発展っていうはリズム。それはドラマーが出すビートという意味ではなくて、旋律、アドリブ、インプロビゼーションのなかのリズミック・アプローチを変えていくしかないんだという風に考えました。

ディエゴ・スキッシ 僕もそう感じている。限界を超えてそこを模索するべきだと感じている。まず僕たちがやらなくてはいけないのは、アイデンティティの確立だ。タンゴとは元に戻るアイデンティティだ。僕たちがその一部だと感じること。僕たちの真のマエストロはアストル・ピアソラだ。僕たちは、彼がどこから見ていたのかを理解する必要がある。僕たちはいわばアストル・ピアソラと同じような動きをしてきたが、異なる人間だから、僕らには僕らの可能性、別の進むべき道がある。アストル・ピアソラの先に行くわけではなく、別の場所に行くんだ。

菊地成孔 非常によくわかります。ピアソラはタンゴのなかに特殊奏法というか、雑音みたいな、パーカッシヴでノイジーなものを入れたと思うんですけど、あなたのキンテートの最新作の一曲目のトーン・クラスター、不協和音のようなものとか、ノイズみたいなものとか、ピアソラの伝統をさらに拡大してなおかつ先に進もうという感じが非常に生き生きとしています。先に進もうとするだけだと、さっきも言ったみたいに今は情報が多すぎて音楽がバラバラになってしまう。だから一回バック・トゥー・ルーツして、そこから何かを落ち着いて進めていくのだというあなたのアティチュードは非常に尊敬しています。

ディエゴ・スキッシ すごくよくわかる。タンゴにはドラムが存在しないから、パーカッションの存在を生み出す必要性があった。この課題自体がタンゴのジャンルとしての伝統だ。(トントントントンとバイオリンやバンドネオンを叩く音)一つ一つの楽器がパーカッションの音を生み出すことでどうやってこの問題を解決するかということなんだ。僕たちの今後最大のチャレンジはアフリカ音楽やインドの音楽にあるようなリズムのサブディビジョンを追求することだ。これこそがまだタンゴが開拓していない部分だからだ。ちょっと僕の構想について菊地さんのご意見を伺いたいんだけど。僕らはこのポリリズムの問題を解決するため、プロジェクトに一人パーカッショニストを入れたいと思っている。音楽は僕が書く。でも僕ら5人では解決できないリズムの課題を僕らの先生になって提案してもらう。

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■リズム・アプローチと分析

菊地成孔 僕はあなたの音楽にパーカッションは今速やかに必要だとは思いませんけど。というのはさっき言ったように僕のアンテナにひっかかるものっていうのは、メロディやハーモニー、つまり和声進行のことじゃなくてずっと鳴っているハーモニー、それもまた一つの打点ですよね。パーカッシブに打つもの。そういったメロディラインやハーモニーの打点などにリズムに対する問題意識っていうものを持っている。それはジャンルも超えていろんな人が持っているんだけど、世界中の音楽家がみんなそこに集まっていると思う。

ディエゴ・スキッシ その打点がある種の緊張、電気を生まなくてはいけない。菊地さんも同意見だと思うけど身体に直接届くのはリズムだと思う。それが最も研究しがいのある豊かで深遠な課題だと思う。メロディやハーモニーといった他の要素はより統合的で、今すぐ変える必要はないと思っている。今、僕の欲求はよりリズムに向いている。

菊地成孔 20世紀の間はどんなジャンルの音楽も、南米の音楽もアフリカの音楽も中東の音楽もインドもそうですけど、非常に豊かな訛、なんて言ったらいいのかな、こぶしみたいな、ものがリズムにもメロディにも含まれている。それらはみんな分析できないもの、要するに、マスターから何回も何回も直接仕込まれてだんだんと覚えていくようなもの、一種のブラックボックス、マジックワードみたいなところに置かれていた。それだと20世紀の音楽は僕はもうだめだと思っている。それでアフリカの音楽を研究してそれを楽譜に起こして分析できる状態に1回して、それによって今まで訛とかブラックボックスに入れられていたものをラボに持っていく。っていう作業が僕がやっていることの大半で、そのときに元になったのがアフリカ音楽を徹底的に聞くことだった。あなたの音楽からもそういった情熱をすごく感じます。

ディエゴ・スキッシ それを栄養源として使うんだと思う。栄養が得られる源であり、食糧の源。ある時期の栄養源がビル・エヴァンスだったり、ストラヴィンスキーだったりまたはインドの音楽のとあるマスターだったりする。コナコール(Konnakol)のタカタカ、タカタカ……っていうリズムはこれはいったい何なんだろうっていう一種の謎のようなもの。だからそういう影響に対して門戸を開いていることが重要だ。自分が作る美学というのは自分が選んだ場所と関係すると思っている。自分に興味があるのはこれとこれ、って自分で選択したことだ。マイルス・ディヴィスのような偉大な巨匠も常にそうやって選択をしてきた。次はこれ、次はこれって彼が選んだ。それを僕らも彼らから学んで自分たちの音楽で同じことをやりたい。もちろん彼らは音楽の天才だった。だから僕はマイルス・ディヴィスと同じ場所に身を置いて、マイルス・ディヴィスが見ていた場所から見て学ぶ必要があるんだ。「何を見ているの?」ってね。

菊地成孔 先ほどの質問の回答に戻りますけども、多くのパーカッション奏者っていうのは、民族的なリズムを分析的に考えた人はあまりいなくて。どうしても打楽器っていうことの特性なのかどうか、ブラックボックスとか師匠からの口伝とか民族性の揺らぎっていうものをただやっているだけの人が多いと思う。だからコンセプトとしてリズムっていうのをもっとこう分析的にプログレッシブにとらえているパーカッショニストがいれば、あなたのバンドに入れることはとても有効だと思いますが。

ディエゴ・スキッシ 本当だね。尊敬されている偉大なマエストロや偉大な作曲家は皆、高度な直感力と高度な分析力を持ち合わせている。両方必要だ。これに関しては僕は彼と同感だ。よく僕が言っていることだけど、音楽はただ天真爛漫で無邪気なだけでは作れない。感動と冷静さの均衡が必要だからだ。それによって立ち位置も変わってくるし、思考や考え方も変わってくる。このことを僕の生徒たちに言うと、生徒たちは少しがっかりしてしまう。まるで悪いニュースを聞いたとばかりに。音楽をやっている人間が目指す最高の高みというのは、直感と思考が対話する場所であり、それは考えなしには作れない。

菊地成孔 僕はその考え方こそが元ジャズ・ミュージシャンの考え方だと思います。ジャズは無教養主義と教養主義の対立。要するに無教養とは何も考えない野生の状態というか、赤ちゃんみたいな状態。衝動的な無教養さと教養が常に闘っている。

ディエゴ・スキッシ でも僕は同時にその場限りの衝動性も必要だと思っている。だからこそ菊地さんと同感だけど、天真爛漫さを失わずに分析力も必要で、分析を恐れてはいけない。それによって車の車輪のように再び栄養分を与えることができる。分析することで再び直感に栄養を与え、そこからまた分析し、車輪が回り続けている。でも自分がジャズから遠ざかる必要性を感じたのは、作曲を第一に考えたからだ。そうしないと、演奏しても、違う違う、そうじゃないとやっている間に構想が消えてしまうからだ。10年後にはできるようになっているかもしれないけど。(来月号に続く)

菊地成孔

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千葉県出身。サックス奏者、作曲家、文筆家。現在は自らのリーダーバンドとして「菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール」「DC/PRG」の2バンドを主催。

DIEGO SICHISSI

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ブエノスアイレス出身。ピアニスト、作編曲家。自身が率いるディエゴ・スキッシ・キンテートでの活動をメインに、新世代タンゴの最も先鋭的な作り手としての評価を確立している。

(月刊ラティーナ2018年2月号掲載)

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