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[2018.06]連載 太平洋の向こう岸からの手紙 #12 『フェルミン』

文●フアン・フェルミン・フェラリス

 少し前に私の名前について尋ねられました。父は慣習に従って私をフアンを読んでいます。彼の2人の祖父、医者のフアンと肉屋のフアンに従って。ところで私の母は本の中から私の名前をつけようと探していました。フェルミンという名前が浮かぶまで。尋ねたことはないのですが、スペインのサン・フェルミン祭の闘牛と関係があるかもしれません。実際のところ父は間髪入れず「わかった」と答え、私の名前はフアン・フェルミンになりました。

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@MARCERO FERRARIS

 彼らが大学生で知り合った時、好きだったいくつかの音楽を共有していました。父が最も好きだったのはフィトでしたが、2人とも熱狂的なルイス・アルベルト・スピネッタのファンになりました。いつでも再生できるように、発売されるやいなやカセットを買い、ルイスが歌う言葉を理解するまで歌詞を書き出すために、テープの同じ部分を必要な数だけ何度も繰り返し聴いていたそうです。父の中でスピネッタがフィトの存在を超えるきっかけとなった作品は『Kamikaze』。父は祖母が描いたアルメンドラ(※スピネッタが在籍したバンド)のTシャツを持っていました。皆のルイスへの忠誠は、一度あるバーで行われた親密なコンサートで観客が大声で歌うのをスピネッタがもっとゆっくり歌うように求めなくてはいけないほどでした。彼は言いました「あなた方が歌うのか私が歌うのか?」。

 スピネッタに大いに影響を受けている父にとって、母が「フェルミン」と言った時、スピネッタの「フェルミン」を思い浮かべたことに異論の余地はないでしょう。しかし私は幼い頃まったくそのことを知りませんでした。私がわかっていたことはニコラスやフリアンでないその奇妙な名前に適応しないといけないということでした。思春期の頃、“Las manos de Fermín, giran y él también, gira y da más vueltas”と歌う私と同じ名前の曲に出会いました。その時から、スピネッタを発見するとともに、私の音楽への愛が始まりました。

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