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[2022.1]【沖縄・奄美の島々を彩る歌と踊り18】 沖縄の島々に伝わる稲作生産叙事歌謡 ―《天親田》と《ティルクグチ》―

文:久万田くまだすすむ(沖縄県立芸術大学・教授)

 沖縄の島々には広く開けた土地がなく、大規模な稲作にまったく適していない。それにも関わらず近現代まで、沖縄の一部では稲作が行われていた。たとえば名護市羽地地域などはハニジ・ターブックヮ(田袋)と称されるほど有名な稲作地帯であった。ところが1962年に勃発したキューバ危機による世界的な砂糖価格の高騰の結果、沖縄の多くの農家が稲作を捨ててサトウキビ生産に転換した。そのため現在の沖縄県では、石垣島などごく限られた地域でしか稲田が見られなくなっている。

 日本民俗学を大成した柳田國男は、最晩年の著作『海上の道』(1961年)において次のような壮大な仮説を提示した。今の日本人のもととなった人々(原日本人)は、当時貨幣としての価値があった宝貝を求めて中国大陸南部から八重山・宮古・沖縄・奄美の島々を北上し、さらにその先の日本本土へと移動していった。その時に稲種を携え、稲作技術を島々の各地に伝えていった。それゆえに、いまも琉球列島の各地に「久米」、「古見」など稲に関わる地名が残っているのだとした。

 日本の民俗芸能の重要なジャンルに「田楽」がある。これは稲作に関連する芸能の総称として民俗芸能研究者の本田ほんだ安次やすじが提唱した概念である。その中に「田遊たあそび」という芸能がある。これは正月の祭りの中で稲作の諸過程を演じるもので、苗代への種まきから、牛(人が扮する)による代掻き、田植え、田の草取り、稲刈り、収穫した米による餅つき、というように実際の稲作から収穫に至るまでの過程を演劇的に演じるのである。これを年の初めに行うことで、感染呪術的効果により豊年豊作を請い願う芸能と考えられ、日本全国に広く分布している。ところが沖縄や奄美の島々には、この田遊びにあたる芸能が存在しない。その一方で、歌の中で稲作の諸過程を描写する儀礼歌謡が各地に存在している。

 沖縄県南城市玉城の字仲村渠なかんだかりでは、旧暦一月初午の日に百名ひゃくな地区にある受水うきんじゅ走水はいんじゅと呼ばれる拝所(湧水)の前の田圃で田植え行事が行われ、その時に《天親田あまうえーだ》という儀礼歌謡が歌われてきた。この歌の内容を少しだけ紹介してみよう。

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