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[2021.03]【TOKIKOの 地球曼荼羅⑧】「三文オペラ」が生まれたドイツ黄金の20年代 〜ベルトルト・ブレヒト、クルト・ヴァイルの傑作

文●加藤登紀子

 歴史の中で記憶されなければならない、ひとつの日付けがあります。それは1933年2月28日、ヒトラーがドイツ文化の息の根を止めた日。
 その日が来るまでの流れは、こうです。
 1933年1月30日ヒトラー内閣発足、2日後に議会が解散され、3月5日が総選挙と決められました。2月27日の深夜、何者かが国会に火をつけ炎上。首相ヒトラーと警察権力を握ったゲーリングが共産主義者の犯行と断定。28日、共産党員などを法的手続きなしで逮捕できる大統領令を、ヒンデンブルグ大統領に発令させ、ユダヤ人も含め、反ナチスと目される多くの人が、その日のうちにゲシュタポに逮捕された、という事件。
 こんなことが、一応ワイマール憲法の法に則って行なえたことも恐ろしいですが、その実施のスピードには、背筋の寒くなるような不気味さがあります。もちろんこのワイマール憲法もその後ヒトラーによって破棄されましたが……

 さて、今日の主人公、ベルトルト・ブレヒト(1989〜1956)は、その日ベルリン市内の病院で手術を受けて入院中でした。
 しかし、躊躇の暇はありません。ユダヤ人の妻ヴァイゲルと息子シュテファンと共に、プラハ行きの列車に乗り、さらにそこから、ウイーン、チューリッヒを経由して、デンマークへ亡命。
 同じ日、もう一人の主人公、クルト・ヴァイル(1900〜1950)はユダヤ系の出身。一刻の猶予もありません。彼はパリへ逃れました。3月2日が誕生日のヴァイルは、33歳の誕生日をおそらくその亡命地パリで迎えたことでしょう。
 この同じ日、どれだけの人が国外逃亡したでしょうか?

 第一次大戦後のドイツと言えば、惨憺たる敗戦の結果、貧困と混乱の中にあったのですが、1920年代からのドイツは、奇跡のような新しい文化の坩堝と化していたのです。
 「ウーファー」という映画会社が、世界に無声映画を送り出し、クラシックの伝統から躍り出た華やかな映画音楽やキャバレーソングの大旋風を巻き起こしていました。
 その音楽家の多くがユダヤ人だったことから、ヒトラーは、ユダヤ人音楽家の殲滅を目論んだ、というわけです。

 そんなドイツの黄金の20年代を代表する傑作として、今も世界で上演され続けている「三文オペラ」とは?
 岩波書店から出版されている文庫本の「三文オペラ」の中で、日本語訳の岩淵達治さんの描いている解説には、詳しすぎるほどの上演までの経緯が書いてあります。

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