見出し画像

[2018.04]【連載 それでもセーヌは流れる 111】グラン・コール・マラード: 「B案」の人生

文●向風三郎

画像1

映画『患者たち』の演者たちと監督
(中央メーディ・イディールとグラン・コール・マラード)

 昨年11月に高齢(四捨五入すると100歳)の母が転倒、下半身打撲で歩けなくなった。見舞いのため一時帰国した私は母の入院先に10日間連続で通い、リハビリに励む母を見守っていた。理学療法士さんたちはみな絶望を希望に変えていくガイド役で、できないことで自信喪失している患者に手がかりを与え、辛抱強く小さなステップを進ませる。すごい仕事だと感心する。おかげでもう歩行不可能と思われていた母は無事2月に退院して、杖の補助で歩けるようになった。

 かく言う私も3年前から複数の病院に世話になっているし、その間に2度入院して手術もしたので、病院の環境には慣れている。医師、看護の人たちその他その中で働いている人たちすべて、すごい仕事をしていると思う。われわれ患者の不安はこの人たちのおかげで薄れて、明日に希望をつないでいく。その希望とはよくなる(get better)ことではなく、元の状態にもどることである。以前のように生きられる、という希みである。しかし患者によっては、たとえ今日の医学の著しい進歩をもってしても元の状態にもどることが叶わない場合がある。元にもどることを断念する、という局面をどう生きるか。

 2018年フランスで最も栄誉ある映画賞であるセザール賞に最優秀映画賞を含む4部門でノミネートされた『患者たち(Patients)』は、スラマー/ラッパーのグラン・コール・マラード(大柄な病人の意。以下GCM)の同名の自伝的小説を映画化したもので、GCM自身とメーディ・イディールの共同監督作品。フランスでは2017年3月から劇場公開され、現在まで130万人の入場者を数える大ヒットとなっている(日本公開未定)。

画像2

GCM

 主人公ベン(演パブロ・ポリー)はパリの北郊外サン・ドニ県のバスケット・ボール選手で、チームの要として活躍しているさなか、自らの不注意による愚かな事故(水がほとんど入っていないプールに、それと知らずに飛び込んでしまう)で全身打撲、外科病院での治療後、四肢麻痺状態でリハビリセンターに転院してくる。ベンはそこで1年間にわたってリハビリ治療を受け、四肢の機能を少しずつ回復していくわけだが、映画の主軸はその苦闘復活ストーリーでは全くない。まずこの新しい環境での奇妙な人々:医師、看護の男女スタッフ、心理カウンセラー、リハビリトレーナーなど内部で働く人たちもまるで「天使」ではない個性的な群像で、病室に映るテレビ画面はいつもTVショッピングばかりで、少しずつ知り合っていく患者たちはみんな一癖も二癖もあり……。

 ついこの間まで自由に跳ね回っていた上級スポーツ選手が、起き上がることもものを持つことも食べることも飲むことも排泄することもできなくなる。最初に学ばなければならないのは不自由。一人で何もできない、誰かに助けられなければ何もできない、という人間の最初の段階の学び直し。この状態の不安と情けなさを映画が旧式ヘルメット潜水夫のカメラアイで表現するところ、よく描けている。

画像3

映画『患者たち』ポスター

 進歩は驚くほどゆっくりした速度でしか現れないし、往々にして退歩もある。ある日ベンに願ってもない「自由」がやってくる。それは電動車椅子であり、不随の体でも操縦桿の操作一つでどこでも自由に移動できるのだ。それに乗ってベンは水を得た魚のように院内を隅から隅まで巡回し、そこにいる人間たちを発見していく。そのガイド役となったのが小児期から下半身不随のファリド(演スーフィアン・ゲラブ)で、長年の滞在で患者たちのあらゆる情報を持ち、交際家で若者患者たちのまとめ役的存在なのだが、ベンは軽口でファリドの「童貞」をからかう。下半身不随者にこのからかいは、と思われるだろうが、この若者たちの間では互いの障害をからかい合うのも友情の証しだ。ここでは誰もが傷を持つ身だからだ。ファリドを中心にして、アフリカ系黒人として家族と共にこの地で生きられるメドが立ったと思った時に事故で障害者になったトゥーサン、反抗児の性格ゆえ不平不満が絶えないがリハビリの効果がないことに時々自暴自棄になるスティーヴ、郊外のストリート不良のボス格だったのが銃弾を身に受けて障害者になり改悛したエディー……といった若者たちとベンは交流して、〝フレロ(兄弟)〟と呼び合うほどの友情が生まれていく。一人で「治る」のは難しいが仲間がいれば。それぞれの困難を抱えた若者たちが、ある種のユートピア的共同体を創り上げていくが……。

この続きをみるには

この続き: 3,969文字 / 画像7枚
この記事が含まれているマガジンを購入・購読する
このマガジンにはラティーナ2018年4月号の主要な記事が収められていますが、定期購読マガジンの「ラティーナ」を購読していただくと、最新号とアーカイブの全てが月額900円で読めるのでお得です。(※デジタル定期購読している方は、e-magazine LATINA内の全ての記事が読めます。このマガジンを「目次」と考えてください)

ラティーナ2018年4月号のアーカイブです。

このマガジンを購読すると、世界の音楽情報誌「ラティーナ」が新たに発信する特集記事や連載記事に全てアクセスできます。「ラティーナ」の過去のアーカイブにもアクセス可能です。現在、2017年から2020年までの3.5年分のアーカイブのアップが完了しています。

「みんな違って、みんないい!」広い世界の多様な音楽を紹介してきた世界の音楽情報誌「ラティーナ」がweb版に生まれ変わります。 あなたの生活…

「スキ」、ありがとうございます!
広い世界の多様な音楽を紹介してきた世界の音楽情報誌「ラティーナ」がweb版に。 あなたの生活を世界中の多様な音楽で彩るために情報を発信します。 月額900円のデジタル定期購読で、新規記事も、過去のアーカイブも読み放題! (※2017年以降の主要記事がアップ済。順次追加)

こちらでもピックアップされています

世界の音楽情報誌「ラティーナ」
世界の音楽情報誌「ラティーナ」
  • ¥900 / 月

「みんな違って、みんないい!」広い世界の多様な音楽を紹介してきた世界の音楽情報誌「ラティーナ」がweb版に生まれ変わります。 あなたの生活を世界中の多様な音楽で彩るために、これからはこちらから情報を発信していきます。 毎月の特集や、強力な面々による連載に期待してください。世界のニュースや音楽情報、新譜リリース情報、イベント情報などは、日々更新していきます。購読者に向けて、様々なプレイリストも共有予定です。

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。