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[2020.11]【沖縄・奄美の島々を彩る歌と踊り④】 沖縄の巡遊芸人チョンダラー −沖縄芸能のミッシング・リンク−

文:久万田晋(くまだ・すすむ 沖縄県立芸術大学・教授)

 「チョンダラー」ということばで多くの人が思い浮かべるのは、沖縄の夏の芸能エイサーにおいて、顔を白塗りにしてバサー(芭蕉布)をまとい、滑稽な動作で主役の太鼓打ち達に絡んだり補佐したりする役柄のことだろう。しかし、このようなエイサーの補佐役・道化役をチョンダラーと呼ぶようになったのは、ここ30年ほどのことである。

 もともとチョンダラー(京太郎)とは、人形遣いや万歳、葬儀での念仏歌などをなりわいとして沖縄中を渡り歩いた流浪芸能集団のことである。念仏を唱えて歩くからニンブチャー、千秋万歳を言祝ぐ詞を唄うからヤンザヤー(万歳者)とも呼ばれた。

 彼らはいつのころか日本本土から沖縄の島々に渡り来て、五穀豊穣と子孫繁栄を言祝ぐ万歳や死者を供養する念仏を唱え、フトゥキと呼ばれる人形を遣いながら沖縄各地を流浪して歩いた。もともとは京の都が故郷だとの言い伝えから京太郎と表記されてきた(沖縄読みでチョンダラーとなる)。彼らが長い時間のなかで沖縄の島々を歩くうちに、伝承していた念仏歌謡をムラの青年達に教え伝え、それが今日のエイサーの原形となっていった。沖縄本島のエイサーで最も中核的な曲である「七月念仏(継親念仏)」は、チョンダラーからエイサー芸能に伝わったものと考えられている。念仏の起源の他説として、17世紀初頭に琉球に逗留した浄土宗名越派の袋中(たいちゅう、1552-1639)上人がこれらの念仏歌謡を琉球に伝えた、あるいは創ったとする説がある。だが、これもいまのところ確たる証拠はない。このように真の起源は霧の中ではあるといえども、チョンダラーがエイサーの源流を構成するひとつの大きな筋道であることは確かなのだ。

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